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 公正取引委員会は11月5日に,日本プロフェッショナル野球組織(以下「NPB」という。)が,独占禁止法に違反する行為をしていた疑いがあったことから所要の審査を行っていましたが、違反被疑行為が解消されたとして審査を終了させたと発表しました。

 で、なにが問題だったかというと、「新人選手が,新人選手選択会議(以下「ドラフト会議」)前に12球団による指名を拒否し,又はドラフト会議での交渉権を得た球団への入団を拒否し,外国球団と契約した場合,外国球団との契約が終了してから高卒選手は3年間,大卒・社会人選手は2年間,12球団は当該選手をドラフト会議で指名しない。」という申し合わせが,事業者団体(ここでいうNPB)が,構成事業者(ここで言うドラフト選手)に対し,他の事業者から役務を受けることを共同で拒絶するようにさせる行為となり、独占禁止法に違反(共同の取引拒絶)の疑いがあるということでした。で、結局、そんな事例がない上にNPBから上記申し合わせを廃止するということでこの事件は終了したというものなのですが、通称「田澤ルール」とまで言われたルールですから事例がないのは当たり前かもしれません。しかし、田澤選手以降の選手たちには大きな足かせになっていたかもしれませんね。

 「2008年に作ったルールになにをいまさら」と思われるかもしれませんが、ここにメスを入れた公正取引委員会側では大きな意味を持つ事件であったといえます。なぜならこの事件は政府が推進する成長戦略実行計画の第2章の2「フリーランスの環境整備」という項目にあたるもので、その環境整備の一環ということで行われたものと推測できます。そもそも、プロ野球選手の立ち位置なのですが、チームに雇われているという立場でなく、チームとの契約により個人事業主として働いているいわゆる「フリーランス」の形態の契約で行われているのが一般的です。きっと公取委としては、成長戦略実行計画の実績作りとしてこの問題に取り組んだのではないかと邪推していまいます。

 ちなみに、歴代公取委の委員長の一人に根來泰周という方がいらっしゃったのですが、この方、2008年6月までNPBのコミッショナーでした。ギリギリルール制定の時期とは外れていますが、この方がコミッショナーの時に田澤問題が起こっていたらこのルール出来ていたのでしょうかね。少し興味あります。まぁ、故人なのです話を聞きたくても永遠に聞けないでしょうけど・・・。