これから私がこれまで国から受けてきた10年間を話したいと思います。
始まりは官邸に送ったメールでした。
日本国民として当たり前の権利を使っただけだったのですが、それ以降私が住むアパートの上に警察のヘリコプターが飛ぶようになったのです。
気味が悪かったし、官邸のメールのせいかもとずっと思いながらも生活を続けていたのですが、私が児童発達支援の仕事を始めた時に、不自然な形で新入社員が中途で入ってきたんです。
その女性は普通に優しい女性だったのですが、当時付き合っていた夫の言葉をそのまま真似してきたのです。
テケテケあるってきたという変わった言葉をあえて私に仄めかして来たのです。
今思えば官邸に送ったあれはガスライティングの始まりのスイッチであったことがよく分かります。
職場の人間関係もうまく行かず教員免許を持っていても実務経験がなければ使えないよねという言葉を他の職員が言っていた事と、児童発達支援での給料の低さに生活が苦しくなって行ってたので、それならと教員になることを決めました。
しかしこれが間違いでした。
場所は伏せますが、私がいた中学校の雰囲気を一言で表すと「異様」という言葉がピッタリでした。
たまたま配置されたという教育委員会から来た先生、ICレコーダーを持ち歩く先生、子供にじゃれるようにして体罰をする先生、あとの男性2人は振り回されてるようでした。
私はあの異様な空間に入れられている中でずっとガスライティングをされてきた事に気付きました。
付き合っていた当時の夫の仕事と教育委員会から来たO先生の旦那さんの仕事がリンクしていたのです。
また、私は大学まで柔道をやっていたのですが、なぜかそれがリンクするICレコーダーを持ち歩くA先生
これだけで私は嫌な予感がしていたのですが、その後は地獄そのものでした。
もう貼り終えた掲示物をわざと何回も貼り直してきたり、わざと私が発達障害であるかのようにレッテルを貼ってきたり、体罰をするB先生には「嫌味が聞いていないねぇ〜」と言われたり、支援級を担当していましたが、その際の担当決めの時など、とにかく今思えば私一人を標的にして攻撃してきているのような、そんな地獄に私は入れられていたのです。
そのおかげで私は毎日子供たちが帰った後に、緊張の糸が解け起きていられないほどの眠気を感じて教室で寝てしまうほど、ストレスを感じていました。
次の日の授業のプリントを作る事や教材研究などする暇もなく、その日をただ何とか生き抜く事だけで精一杯になっていました。
そしてある日、教壇に立っている時にO先生に「つまんねーんだよ!」と罵倒され、隣の教室に居る時に「くせーんだよ!」とわざと私に聞こえるように言ってきた時に、もう私の心は折れてしまいました。
次の日にはもう職場に行きたくなくて涙が止まりませんでした。
結局辞める事にしたのですが、もう職場に行くこと自体私は嫌だったので他の職員にやってもらってしまったのですが、最後にO先生に言われた言葉は「あなたが居なくても回る」でした。
その後はサラッと流しますが、首を吊ったりして夫に迷惑をかけたりして大変でしたが、その頃にはもう実家に帰りたいなと言う気持ちしかありませんでした。
しかし結局ズルズル夫付き合い籍を入れ、自分の気持ちに整理をつけてる時に、夫に「どうせ何もしないんだから子供産め」と言われたのでもうヤケになって子供を作りました。
その間に義実家に挨拶に行ったりもしたのですが、とにかく私への仄めかしが多く、義実家に行きたくないと言う気持ちのほうが強くなって行きました。
どこに行ってもずっと何かに見られてるような、そんな感覚が約10年続いたのです。
まだ続いてる感覚もあります。
私は歯が悪く治療に行った場所では、衛生士に笑いながら「入れ歯になっちゃいますよ?笑」と言われたり、受付では私がそこに行くだけで笑われたりして、その医院にだんだん治療に足が向かなくなって行きました。
市川ではこんな暮らしでとにかく辛い記憶しかのこっていません。
その後は江戸川区の社宅に越したのですが、そこでも何かに見られてるような感覚は無くなりませんでした。
娘が生まれる前に治療を済ませてしまいたかったので、新小岩の歯医者に行ったところまたおんなじような受付が入った途端顔を見合わせて笑ってきたので、ここもダメかもしれないなと思いつつ、でも治療を済ませたいのでアンケートにとりあえず愚痴は見えないところでやれと書いたのですが、そうしたら私の気にしている口臭の欄にチェックをつけられているを見た受付にいた女性に「分かってんじゃん笑」と言われたのをよく覚えています。
ここでも何かが私を見ているような感覚、私を標的にしているのを感じていたのです。
その後は、歯医者を転々と変える羽目になり結局初めの市川の歯医者での「入れ歯になりますよ?」が現実のものとなってしまったのです。
江戸川区の社宅でもおかしいことが続きました。
社宅に入って早々、オートロックが壊れたのです。
これで社宅なのに誰でも入る事が可能になりました。
また、私がカーテンを開けるとカーテンを開ける下の階の人、時間を変えても必ず会うスキンヘッドの人、車で出かけようと車に乗ると必ず向かいの車の人がこちらを確認して来たり、社宅の人に扮する別人等、私にはとにかく何かに監視されているような感覚しかもう残っていませんでした。
空を見上げればいつも飛行機やヘリコプターが私の近くを飛び、場所を変えても付いてくるので、おかしいとずっと思っていました。
夫にはそんなの空港があるから当たり前だと言われてきましたが、飛行機が私のスマホのGPSと連動しているようなそんな感覚さえ私にはあったのです。
地上では、消防車、救急車、パトカーが私を監視しているかのように必ず家の近くや、移動先に現れて来て、その頃コロナが大流行していた時期だったのでコロナだろと言われてしまえばそうかもしれないですが、消防車が一度追いかけてきたのを私は覚えているので、明らかに私を標的にして追いかけてきていると感じていました。
これだけ公の車両が私に近寄ってくるのには何か意味があるのではないかと言うようなそんなオカルト的な気持ちも芽生えていきました。
台湾の地震と台湾のパイナップルの話を覚えていますか?
私はそこにリンク、盗聴を感じていた事があるのです。
私が令和元年のまだ市川のアパートに居たときに義実家から果物をもらったことがあったのですが、アパートでパイナップルを食べて思った芯を捨てるのは勿体ない、と言う言葉が聞かれてるかのように、後々台湾パイナップルの金蜜が台湾の地震によって輸入される様になったのです。
その当時何も気付かずただ台湾を応援したいと思い買った金蜜でしたが、長く受けてきたガスライティングや集団ストーカーによって、私がいかに国に盗聴と盗撮をされてきたかを気付かされていったのです。
台湾東部で発生した地震を受けた安倍総理大臣によるお見舞いメッセージ|外務省 https://share.google/DWqXVxjF41tv5NAHO
また平成30年頃の市川のアパートに住んでいた頃、私は初めてSwitchを買って、ゲームをよくしていたのですが、SDカードの容量がもっと大きくならないかな…と言うのを呟いたことがあったのですが、それが後々サンディスクやサムスンがSwitch2にテラバイトのSDカードとして登場する所まで、繋がっているのです。
ここでも、妙なリンク、シンクロニシティと言う言葉で片付けられないような奇妙な一致を私は感じる事になったのです。
他にもこうした奇妙なリンクが次々と起こり、挙句の果てにはテレビや政治と言った所にまでリンクして行ってしまったのです。
これは、一言で言うなら日本における新しい監視社会、すなわちニューワールドオーダーと言う世界規模の集団ストーカーやガスライティングに発展していることに私は気付きました。
皆さんのなかに、自分の言葉が漏れているような、自分が監視されているかのような、そんな感覚がある方は居ませんか?
それは国やメディアによる集団ストーカーとガスライティングです。
あなたは悪くありません。
悪いのは個人の情報を不当に窃取し、私刑を行ったりメディアのネタにしてしまう悪意を持った集団のせいなのです。
もし同じような人がいたらすぐにでも味方になってあげてください。
ネット上におけるミームもその手口の一つです。
今日ここまでにしますが、また明日私の妙なリンクの話をしていきたいと思います。