産業医から、
うちの部長から意向確認をしてほしいと言われた、とのことで、話を聞いてきた。
「うちの部で復帰するのか、それとも部署異動したいのか今すぐ決めてほしい」
この発言の真意はおそらくこう。
私がいなくなった部の仕事が忙しすぎて回らないから、いつまで休まれるかわからない人を待つより、いますぐ働ける子を他の部から引っ張ってきたい。
私が異動希望なら働ける子を7月にはひっぱってこれるから今すぐ決めてほしい。
本音ではうちの部での復帰を特にのぞんでない。
大企業なので、この発想は予測できたし、
自分が部を率いる立場ならそう考える。
戦えない戦士などいらない。
いつか言われるだろうとは思っていた。
でも、休んで実質2ヶ月、まだ体調も全快していない(じんましんが治らない)その期間すら待ってもらえないとは思っていなかった。
想像よりずっと早く迫られた決断に、頭が真っ白になった。
正直、今は考えられないと言ったが意向は固めないといけない。
「今の部で復帰するつもりではいました。でも今はまだできません。会社への不信感がぬくえず折り合いがつきません。」
言えたのはそれだけで、少し前まで復帰したいと前向きに考えていた気持ちは萎えてしまった。
産業医から医療的に制限をつける時短勤務での復帰など提案されたが、そうまでして復帰しないといけないのか。
私の心の健康を無視して追い詰めたのはそっちなのに、なぜまた追い詰めるんだ。
話し終わってしばらく呆然としたあと、
どうしようもない怒りが湧いてきた。
私が休みを決めたのはある程度暇になってきていて、他人に仕事を渡してもなんとかなるだろう、ぐらいに業務が減っていたからというのもあったので、
たった2ヶ月で部の事務が壊滅したんだな、と想像はできたが怒りはおさまらなかった。
大企業にとって、事務職なんて替えのきく使い捨てなんだとわかっていたけど、体調の回復も危うい従業員にそんなことを迫るんだな。
私がこのまま絶望して死んだらどうするんだろう。どうもしないな。
私はそんな会社のためになぜこんなになるまで頑張ったのだろう。
代わりがいるのなら、SOSを出したときに何故助けてくれなかったんだ。
怒りが、次から次へと湧いてきて
そして家に帰ってから大泣きした。
おそらく適応障害で休みに入ってから自分のことで泣くのは初めてだった。
あの部署に戻る理由も、会社にしがみつく理由も
どこにもみあたらなくなってしまった。
私が苦しもうが、それで死のうが、関係ないのだ。どうでもいいのだ。
なぜ、18年もこの仕事を歯を食いしばって耐えたのだろう。
与えられる理不尽を飲み込んで頑張ったのだろう。
なぜこんな会社で認められたいと思っていたのだろう。
馬鹿馬鹿しくて、最後には笑えてしまった。
自分があまりにも滑稽だった。
もっと早く「がんばらなくていい」と気づけば、子供が自分自身を力いっぱいたたくあの姿を見ずに済んだんじゃないか。
子供をあそこまで傷つける必要などなかったじゃないか。
私が犠牲にしたものの対価とはなんだったのだろうか。
2ヶ月たっても回復しないような傷をつけたのは会社だろうに。
今朝もじんましんがそこら中に出た。
まあ、会社にかかわることが起こったあとはこうなる。体からの拒否反応なのだろう。
医者は「体のSOSだから」とじんましんが治まるまでは復帰はしないほうがいいと言う。
昨日までの焦る気持ちはなくなった。
戻るか戻らないか、異動するかしないかはもうどうでも良くなった。
会社なんてどうでもいい。
向こうだってこっちを、どうとも思ってない。
今大事なのは、復帰とかじゃない。
私が健康を取り戻すことだ。