あと5年早ければ | 後輩が怖すぎて食堂に行けません

後輩が怖すぎて食堂に行けません

一人生んで職場復帰したら、仕事もろくにできない後輩から「パートじゃダメなんですかぁ?」と言われて傷ついてから食堂に行けなくなったメンタル豆腐の女。いわゆるワーママ。できるかも分からない二人目不妊治療中

人生設計を色々間違えたなと、保育園にいくたびにおもう。

子供ができにくいとわかったなら、そのときから死に物狂いで子供を作ればよかった。

私が子供を生んだのは35歳で、回りの母親はもう結構な年の子供がいる。
3人目とかいっちゃってたりする。

そして、私にもやってきたアラフォーキャリアの分岐点。
周りが次々と次のステージへの歩みを始めるのに、私はなにも進めない。
リミットが迫ったいま、キャリアを望みながら高度生殖医療はできない。


助成金は大事だ。
でも、キャリアか治療か、キャリアか育児かを選ばなければならないのは女性ばかりで、
女性に働け、生め、というの相反した問題を誰も解決してくれない。


コロナで命を守るのと、経済を守るのが相反していてまったく混ざり合えないのと似ている。
対立事項ではないはずなのに、なぜか対立させたがる。
でも、毎日毎日、その重い選択をして会社にむかっているはずなんだ。人間は。

かかっても死ぬかわからないコロナを恐れるか
現在の糧を失い、その先にある死の可能性を恐れるのか

なんか似ている

生まれてくるかわからない命を選ぶか、
自分が生きていく糧を選ぶか。

人生はままならない。
毎日、自分の人生設計を間違えたことを保育園で思いしらされても傷つかないように防衛している。
それに、20代では親にはなれなかった。精神的にも脆すぎて。
私はきっとマウンティング親になっていたし、ママ友で大もめしただろうし、
子供にもあたりちらすマルトリートメントを繰り返したと思う。

ふと子供のいない人生はどうだったかと思う。

子供が、最近不在にしがちな父親のことを聞いてくる。
いないと寂しい、と。
お母さんは寂しくないの?
そう聞かれて気付いた。

子供を生んでから、生む前から、私は寂しいと感じたことはないなと。
孤独感はあるけど、寂しくはないなと。

この幸福になぜ私は満足できなかったのだろうか。
そんなことを思いながらやっぱり諦めきれないキャリアを思う。

欲深いから人生はままならない。