ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の二巻目を今読んでいる。
二巻目に大審問官という章があるが、ここはおすすめの部分だ。
小説を曲に例えるならサビの部分だと思う。
ドストエフスキーのこの小説は二巻目に入ると内容が宗教のことになる。
なぜ神がいるのに、この世界は暴力であふれているのかなど身近な問題になる。
ある意味、神がいるかいないかを議論するなら話は早いかもしれない。
僕の住んでる日本にはおそらくあまり神を信じている人はいないだろう。
でも前世や来世など仏教の思想を信じている人ならいるかもしれない。
ちなみに僕は神も前世も来世も信じていない。
死んだら骨と灰だけ残ると思ってる。
もちろん魂なんかないだろう。
僕は生物学を専攻しているが、やはり勉強していくうちにそういう考えがより確かなものに感じられる。
人間はもともと猿が進化したものであり、猿はもっと単純な動物で、元をたどれば単細胞生物で、単細胞生物はただの自己複製能を持つ分子だったのだ。
そんなことはどうでもいいが、カラマーゾフの兄弟は神がいるかいないかだけを主題にしたような話ではない。
宗教を通じて自身の考えを伝えているのだ。
登場人物のイヴァンは自分が作った劇をアリョーシャに話す場面がある。
イヴァンの作った話はキリストがキリスト教の広まった世界に再度現れ、人々は彼の奇跡を目にする。
そこへ教会の大審問官が現れ、キリストをとらえるように命じる。
大審問官もまた人々に崇拝されていたのだ。
とらえられたキリストに大審問官はこう言う。
―お前より私たちは悪魔を仲間だと思っている。
いくら自分ひとりが聖人になったところで、大衆は愚かなままだし、それならいっそ悪魔のように大衆をだまして支配したほうがいいという感じだ。
それを聴いたキリストは大審問官にキスをして、大審問官はキリストにここから立ち去るように命じる。
大審問官の胸には感動があったが、相変わらず考えは変わらないという話だ。