感覚が降ってきた時のみ書いているので

更新は不定期です、すみません。


どういうわけなのか、幼い頃から

聖なる力から加護されるという感覚は

知っていて、それが物理的な人に依存するものではないことも知っていました。


良きにつけ悪しきにつけ、その原動力となるのは【信じること】で、自分の中の気持ちの組成のほとんどがそれに組み替わったときに備わる力のようでした。


だから今でも、年齢にかかわらず感じます。

自分を信じられるというのは強いですよ。


他を信じるに値する存在である、と自分に価値を当たり前に認めること…道端に転がる石さえ存在を許されているのです。


自分に存在する価値をもたらすというのは、自然界に本来当たり前のことです…わざわざ考えるまでもないこと。


逆に言えば、日本社会は内輪のバランスを欠落してしまったと言えるのかもしれません。


たまに日本庭園に行ったり、神社仏閣に行くと癒されるのは、大自然のバランスが大半、体に含まれるようになるからだと思います。