昭和の昔話です | ゼロから始まる投資ライフ。ときどき、ゲーマー日記

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突然、投資に目覚めたあたし(ずみとし)の

知識ゼロからはじめる、投資生活記録。

でも、ゲームネタも多い。

記憶に残っている学校の先生は?

 

小学校の3年4年のときの担任の

イナダ先生は

もう一生忘れません。

 

忘れられない。

 

かなり昔に定年間近でしたから

ご存命としてもこのブログに行きつくことはないでしょうと

名前を書かせていただきました。

 

親が比較的主張するタイプの生徒には弱く

うちみたいに

「先生」と名の付く生き物には弱い親を持ってる生徒にはやたら高圧的だったり。

 

学校に献血バスが来て

献血して疲れたからと

午後の授業は横になってするとか。

 

忘れ物をした生徒の上に座って授業をするとか。

 

昭和と言うのを割り引いても

問題の多い先生でした。

 

「めだかの学校」の3番を

「めだかの学校はうれすぃーなー」と歌えと教えられたこととか

(ちなみに本当の歌詞は「うれしそう」)

 

絵具はそのまま使うんじゃなくて

筆を洗う水くらいの濃さで塗れと言われたこととかも忘れられない。

 

 

その先生は電器屋でテレビ電話を買い

生徒の様子を見ていたそうです。

 

クラスの子ひとりひとりに

「あなたは家の前の掃除をしてた」とか

「宿題をしていた」とか

順番に言い始めました。

 

「お手伝いをしていた」とか

良いことを言われるのはお気に入りの子や

親が主張する系の子で

私みたいに嫌われてる子は

「お母さんに叱られてた」とか言われます。

 

ひとりひとり順番で

まあ少なからずあり得る範囲のことを言うから

言われた子は

「○○をしてたよね」と念押しされると

「はい」としか答えられない。

 

そして自分より前の人がみんな肯定してるから

「?」と思う人がいても

「違います」とは答えられない空気になってます。

 

そもそも「テレビ電話」の能力を越えてるし。

 

小学校の時の先生は

なにかと記憶に残ってますが

この先生のことは

本当に一生忘れないことでしょう。

 

テレビ電話の件で

なんとなく流されて肯定したことは今でも悔しくて

教師や上司から同調圧力をかけられたとき

それに屈しない人間になりました。

 

なかなかに生きづらい性格です。

 

もし人生に2周目があるなら

覚えてろよオマエ、と

今でも当時の熱量で怒りを感じます。

 

……これがドラマ「ブラッシュアップライフ」の世界なら

周回するたびに徳が下がりそうです。

 

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