日米安保条約の不平等性 1955年8月の訪米時、重光葵外務大臣が求める安保改定をダレス国務長官が一蹴した場に同席していた岸は大きな衝撃を受けた。
米の厳しい態度の背景には、日本が自主防衛の努力を怠りタダ乗りすること、また米国陣営から離脱することへの懸念があったが、 こうした懸念を解消し、安保条約の不平等性を解消する必要があると、岸は強く認識するようになっていく。
従前より「総理は外交や治安にこそ力を入れなければならない」と述べ、 「日本の真の主権回復」を目指していた岸にとって、総理・外務大臣を兼務できたことは幸甚であった.
岸は私のやったことは歴史が判断してくれる・安保改定が国民にきちんと理解されるには50年はかかるだろう、という言葉を残している。
・ 動画は、水谷先生が多くの出版物より、特に日本をベースに近隣諸国で当時話題となった人物 個々を深掘りして読み解きます。