31部隊というのは一九三七年から一九四五年まで中国のハルピン近郊の平房に存在した。
【関東軍防疫給水部本部】のことである。
創設者で部隊長の石井四郎軍医中佐の名をとって石井部隊とか石井機関と呼ばれることもある。
隊員数は三千人弱で十年間に三千人とも言われる敵国人(中国人・ロシア人等)
を人体実験によって殺害していた。
人体実験の目的は病気の原因の解明や細菌兵器開発のためであっいた。
二十五種類の病気について人体実験を行い。
各種ワクチン開発でも人体実験を行った。
人体実験によって、その病気の研究に最もふさわしい実験動物を探し求める手間が省けるだけでなく
人間にしか現れない反応がみられ効率の向上が図れる。
これは未知の病気の原因探究のための実験といえよう。
又それらの病気に対する薬の開発を含む治療法の発見も人体実験によって容易となろう。
七三一部隊の発足後一九三八年から四二年にかけて、北京・南京・広東・シンガポールに
七三一部隊の姉妹の防疫給水部が作られた。
四つの部隊の隊員数は五百から千五百の規模で石井の部下が部隊長となり
お互いに連絡して活動した。
ハルピンからシンガポールまでの五つの部隊での研究活動を指揮したのは石井である。
彼が主幹を努めていた陸軍軍医学校防疫研究室であった。
石井の中国での活動は一九三一年の柳条湖事件を発端とする事変とともに開始された。
五年間の人体実験を含む準備活動を経て七三一部隊が発足した。
一九三六年八月十一日ハルピン近郊の平房七三一部隊
北京一九三八年二月九日、一八五五部隊・北京一九三九年四月一六日、一六四四部隊
・広東一九三九年四月八日、八六〇四部隊・シンガポール一九四二年三月二六日、九四二〇部隊、
・ 動画は、水谷先生が多くの出版物より、特に日本をベースに近隣諸国で当時話題となった人物、
個々を深掘りして読み解きます。