水上 勉(みずかみ つとむ、みなかみ つとむ、1919年(大正8年)3月8日 - 2004年(平成16年)9月8日)は、日本の男性小説家。福井県大飯郡本郷村(現:おおい町)生まれ。
苗字の読み「みずかみ」は本姓であり、筆名(ペンネーム)としては、長年「みなかみ」が使用された。
なお、特撮テレビドラマ『魔人ハンター ミツルギ』の主題歌を作曲した歌手の水上勉とは、同姓同名の別人である。
福井県の棺桶職の家に生まれ、5人兄弟の次男として育った。
生家は乞食谷(こじきだん)という谷の上にあり、そこは死体を埋める谷のとば口で、一家は地元の素封家の所有する薪小屋に住んでいた。
貧困から、9歳(一説には10歳)の時、京都の臨済宗寺院相国寺塔頭、瑞春院に小僧として修行に出される(この時、寺に住み込んで画の練習をしている南画家の服部二柳を見ている)が、あまりの厳しさに出奔。
その後、連れ戻されて等持院に移る(これらの経験がのちに『雁の寺』、『金閣炎上』の執筆に生かされた)。
10代で禅寺を出たのち様々な職業を遍歴しながら小説を書くが、なかなか認められず、また経営していた会社の倒産、数回にわたる結婚と離婚、最初の結婚でできた長男(窪島誠一郎)との別離など、家庭的にも恵まれないことが多かった。
旧制花園中学校(現・花園中学校・高等学校)卒業。1937年(昭和12年)、立命館大学文学部国文学科に入学するも生活苦のため半年で中退。
晩年
1997年(平成9年)頃から、パソコンやインターネットに強い関心を示す。
長野県小諸市の仕事場にMacintoshを複数台購入し、「電脳小学校」と名づけて地元の子供たちにも開放しようとしていた。
また、上京する際はPowerBookを持ち歩いていたこともある。
本人もワープロソフトで執筆したり、電子メールを知人とやりとりしたりしていた。
自ら描いた絵をスキャンして、その画像をインクジェットプリンタで竹紙に印刷したものを「版画」と呼んで楽しんでいたこともある。
当時「たとえば早稲田大学も、これからは早稲田<検索>大学になるんだ」と話すなど、今でいうeラーニングにも関心があったようである。
パソコンやインターネットを障害者や高齢者、地方に住む者のハンディキャップを補う道具としてとらえていたと考えられる。
2004年(平成16年)9月8日肺炎の為、長野県東御市で死去。
85歳没。死後、正四位に叙され、旭日重光章を授けられた。没日は直木賞受賞作『雁の寺』に因んで帰雁忌と呼ばれる。
2006年(平成18年)、横瀬夜雨の伝記小説『筑波根物語』(1965年に『中央公論』に連載)刊行。
家族
1941年に加瀬益子と同棲。長男凌(窪島誠一郎)をもうけるが、戦争と生活苦のため靴の修繕屋に養子に出し、東京大空襲で行方不明になる(のちに再会)。
1943年に松守敏子と結婚し長女蕗子をもうけるが、1949年敏子が子どもを置いて印刷会社の息子と駆け落ちしてしまったため離婚。
1956年に西方叡子と再婚し、次女誕生。
長女蕗子は、俳優・京極潔(本名・勝亦純也)と結婚するが、京極は1973年に自宅の火事で焼死した。
ウィキペディアからの引用です
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