一休宗純、私の様な素人が考える時、一休さんから来るイメージは、聞きなれた、アニ
メ(漫画)、可愛い、生意気な小お坊さんが最初に浮かびました、しかし先生のレポート
やネットで知る、彼の人生は苦難と波乱の連続ですね、その厳しい時代を中で貫いた意思
の強さ、そしてその反面は楽天的で柔軟な思考です、そして、歌を愛し、女性やお酒も大
好きだった様に伺えます。

生活面では、彼は権力や富を極端に避けて、普通の凡人の生活を好んだようですね、ま
た、人間味ある、とん知のある、イキナ人生から、一休宗純師を、私はお気に入りの先生
の一人とさせて頂きたいと思いました。

この歌から、人生を生きていく、覚悟を強く感じました、世の中の不条理や災害、この
時代の苦難、疫病等が彼に襲いかかり、そこで彼を二度の自殺へと、行動させたのでしょ
うか、ここでは失礼とは思いますが、人間(凡人)・一休さんの登場と思ったりもします。
人は誰も、生まれて来る、場所や血筋を選べません、一休さんも、自己意思とは関係な
く、家庭の事情で、臨済宗の僧侶として、お寺での修行が始まりました。
お釈迦様が進めて説いた、教えとの、関連性は分かりませんが、彼にとって、この環境
は、既に準備されていたのではと運命を感じます。


仏教は数ある宗教の中で、大きな、争いを行なっていないと考えられます。これは
キリスト教とは、大変異なります、
創始者は自ら積極的に布教したり、何らかの運動を行なった様ではなく、周りからの自発
的な面が有る様ですが、その後は何時の時代もその、時の権力者に利用される事にはなり
ますが、そんな大きな、人間社会のうねりや混とんとした、人の生き様を、この短い詩は、全てを我々に教えてくれているのではないでしょうか、私はこの歌
からも、既に一休さんは仏陀なのだと、確信しました。

最近思います、この世は 2 元論で、私の勉強している易学は、陽と陰・天と地、物理学
の始まりも物質と反物質ですね、パソコンも(2 進法)等々です、仏教は2原論(争い)
を避けて、非2元論、不二の考えがありますね、これは(空)に繋がるのでしょうか?
しかし、縁起 =相互依存です。そして、富を持つ者と持たない人、しかし、富を持たな
いからといって、その人が不幸とはかぎりません、大切なのは心です。

人には 2 つのこころが存在すると、ある人が言っています、物を中心に置いたこころ、
そして、もう一方は、大きな、善に溢れた、心と言ったらいいのか?
前者は私たちの日常のリアルは存在です、後者は、その存在を宗教や哲学に問うことに
なります。