本日、スタートしてから100日目、7578㎞を走りました。
朝、道の駅で知り合った前田さんと記念写真。昨日の夕方、あとから来られた前田さん、バイクのナンバープレートが鹿屋になっていたので、「かのやからですか~?」と話しかけると「かのやって呼べるのは、近くに住んでいる人ぐらいです。」と。「私都城です。」「でしょうね~」そこからイントネーションが南九州の上げ下げになっていったのでした。

前田さん、4月から旅していて、北海道に3ヶ月もいたということで、大先輩なのでした。また会いましょうね~とお別れ挨拶をして私が先に出発。
今日は、大船渡から南三陸町までを走ります。すべての街を説明していくと長くなってしまいますので、陸前高田市に絞って紹介します。以前から色んな情報で、少しは知っていたのですが、こんなにも街が変わり果ててしまったのか、と思うほど(震災前の街を知らないのに)、壊滅的な状況でした。まず、目にしたのは

このアパート。5階建ての4階部分までが何もなくなっています。5階だけが窓枠、ガラス等が残っていて、津波がどこまで来たのかがすぐにわかりました。次に道の駅


中はメチャクチャな状態です。そのまま追悼施設として残すそうです。その近くに奇跡の一本松があります。

一本松の横の建物は、見るも無惨な状態でした。陸前高田がどんな街だったのか知りません。しかし、元の人が住めるようになるには、かなりの時間が必要なようです。そして陸前高田市立気仙中学校


あの日私は、6時間目の総合で、3年生とのお別れレクレーションをやっていたのを覚えています。気仙中学校のあの日のあの時はどうだったのか、と建物を見ながら考えたところでした。津波は屋上を越えて来たそうです。
今、道の駅にいてブログを書いていますが、地元の方と話すことが出来ました。防潮堤は、景観を損なうばかりで必要ない。それより避難の手だて、方法をきちっと整備すれば、死ぬ人何ていない。あの防潮堤を建てれば、美しい海を見ながら生活したいと思う人は帰って来ない等と、話をされて帰られました。昨日の私の中身とかなり違っておりました。やはり、自然と一緒に生活したいですよね。
明日は台風が近づくので仙台の友達の所にお邪魔しま~す。