ここ2、3年ほど、夜型の生活をしていた。
さして不都合もなかったため改めようともせずズルズルと続いていたが、
今年の春、ふいに、前触れもなく突如として治った。
3月の終わりごろ、何も用事もないのに自然と朝に目が覚め、夜には自然と眠くなって寝てしまった日があった。
どうせ気まぐれでへそ曲がりなぼくのことだ。
どうせすぐまた戻るに違いないと思った。
しかし、そんなぼくの予想を裏切るかのように早寝早起きの習慣はふしぎと続いていった。
それから当たり前のことへの気付きの連続だった。
朝日を浴びて起きると気持ちがいいとか、夜無理せず眠れると安らかだとか、本当に当たり前のことに感動を覚えた。
ただ、1日は無為に過ごすには長い。
そして、ここ数年でぼくはとてもふくよかになった。
ぼくは、改めてやせようと思った。(半年ぶり11回目)
どうせ朝起きてもなにもやることがないのだ。
体力も落ちているので走れはしないが、寝ているよりは歩き回っていたほうがましだう。
そう思ってぼくは朝起きたら近所の川まで歩くという行動を始めた。
来る日も来る日も川をみる、ただそれだけのために起床し続けた。風の日も、雨の日もその行動は繰り返され、習慣と化していった。
まるでクソ田舎のじぃ様である。台風の日に川を見にいくといって帰らぬ人となっていたらと思うとぞっとする。
ともかく、この川を見にいくという習慣は、一定の効果をぼくにもたらしてくれた。
歩くと、全身の筋肉と内臓がひねられ、体が活発になっていくのがひしひしと感じられた。
ただし、とはいってもただ歩いているだけである。
大した運動量ではないのに、腸が刺激されるためか、やたらに腹が減る。
ぼくは朝からものすごく食べるようになった。
あわせて体重を量ることも習慣付けてはいたが、体を動かしたことと、朝食を食べることで、とくに体重に変化はなかった。
しかしながら、人間楽しくなってくると欲が出てくるもので、あるときから川を見にいくついでに筋トレをするようになっていた。
回数もすこしずつ増え、後日心地良い痛みを感じるようになっても、それは習慣の中に馴染んでいった。
体重計に乗りぼくはほくそ笑んだ。すこし減りだしたのだ。
このまま行けば順調にやせていくだろう。
そうして体重がすこし減りはじめた5月のある日、人事によって移動が決定した上司から食事に誘われた。
適度に良好な関係をとっていたため、気乗りはしなかったが無下にもできず誘いに応じた。
なぜ、気乗りしなかったかといえばメニューである。
南米料理のシュラスコ120分食べ放題というものだった。しかも昼食である。ビールが飲めない。。。
当日がきても気分は沈んだままである。
運ばれてくる肉をひたすらに食べ続け、皿に溜まっていく油を見つめ、また肉を胃袋いっぱいになっても食べ続けた。
あぁ、この皿に浮いているすさまじい量の油、これ以上の量の油が今、体に入っているのだ……
しかも、ビールが飲みたい。。。
しかし、このあと仕事がある。。。飲むわけにはいかないのだ!
概ね、こんな思いをかかえて時間を過ごし、せめてもの抵抗としてビールの代わりに黒烏龍茶をガバガバと飲んだが、
尋常ではない油を摂取したのだという気持ちとビールが飲みたいという気持ちが、一層明確な形を持っただけだった。
ちなみにその日の晩、昼間飲めなかった分を取り返すようにビールめちゃくちゃ飲んだ。
さて、その翌日である。
就寝前、明日は取り戻すためにも一層の運動をしなければと思って床についたにも関わらず、
目が覚めるとすでに10時を過ぎている。普段であれば運動後のシャワーを済ませている頃である。
まずい、昨日のビールのせいで起きれなかったんだ!早く起きねば……うっ!?
体の中心がどっしりと重い。昨日の肉が体の中に留まっているのだ。
加えて、起き上がろうとすると全身に引きつるような痛みが走った。筋肉痛が遅れてやってきたのである。
朦朧とする意識、全身の重み、痛み。
ぼくはこの日は休息を取ることにして、再び布団の中にもぐりこんだ。
明日から、明日からまたがんばろう。
そして翌日、目が覚めると既に10時半。
腹の重みは軽減されたものの筋肉痛は治っていない
万全になってから、再開しよう。
そしてその翌日、目が覚めると11時。
加えてノドに違和感。咳も出る。風邪を引いたようだ。
咳をする度に筋肉痛が悲鳴を上げる。
万全になったら再開しよう。。。
すこしずつ、すこしずつ、起きる時間は遅くなり、動かない理由もゆるくなっていった。
そして、今日も8時半に目が覚めたものの……
寝相が悪かったためか足がしびれていた。
足のしびれの回復を待っていたところ眠りに落ちてしまい、結局11時半まで眠っていた。
起床後、さすがに足がしびれて起きれないは自分に甘すぎると思うとともに、
はっとした気持ちで体重計に乗った。
体重は、戻るどころかむしろ、以前よりも増しているのであった。
この、春の季節に訪れた早寝早起き健康習慣は果たしてなんだったのだろうか。
結局、今は、早寝お寝坊という碌でもない習慣に変化しつつある。
どうせへそ曲がりなぼくのことである。
もしかすると春眠暁を覚えずという言葉に抗ってみたくなっただけなのかもしれない。
おわり