不眠で悩んでいた頃、
さる人物から安眠枕なるものをもらった。

中身はプラスティック製のチップが入っており、中央がくぼみ、適度な高さが絶妙に首から背中にかけてのアーチにフィットする形になっている。
何よりも優れている点は、真夏の熱帯夜であってもひんやり感を保っていることだ。

東洋医学に頭寒足熱という言葉があり、それは、眠るときは足を温めるのがよく、頭は逆に冷やすほうがよいとの教えだそうだ。

この安眠枕、よく眠るためのすべてが極められているのだ。

僕は意気揚々として床についた。
これだけ眠れる要素を含んだ枕である。
寝られないはずがない。

僕は頭をつける前からワクワクしてたまらなかった。

布団を整え、いよいよ安眠枕に頭をつける。心地良い冷たさが後頭部を包んだ。

これは快眠できるに違いない。ワクワクはピークに達した。

頭をつけ5分、きっとすぐに眠りに落ちるだろう。

10分、こんな枕を使って眠れないはずがない。


1時間、まだひんやり感が続いている。なんとすばらしい。


そして、3時間……ワクワクが止まらなくて眠れない!!!


期待値が、、、高すぎたのだ。


僕は悟った。

安眠に大切なのは環境ではない。
安らかな心境に入ることなのだ。


結局、空が明るくなった頃になってようやく
ワクワクすることが段々とバカバカしくなり、ふて腐れたように眠りに落ちた。


しかし、安眠枕がその性能を遺憾なく発揮したのはそこからであった。

その日は休みであったため、目覚ましをかけてはいたものの起きる必要性は特になかった。

目覚ましが鳴る。
僕は寝たのか寝ていないのかよく分からない気持ちで目を覚ます。

もう少し寝ていたい。そんな気持ちに呼応するかのように安眠枕が柔らかな温かみを僕の後頭部を包み込む。
延髄がしびれるような安心感がそこにはあった。

僕の眠りたいという心境に、安眠枕が応えたのだ。
僕は目覚ましを止めたあと、布団から出ることもなく再び眠りに深く、深く落ちていった。


目が覚める。
太陽はすでに傾いているようだった。
今日という一日はその職務をほとんど全うし、あとは惰性で残りをこなすだけだといっているようだった。

それでも安眠枕は僕に語りかける。私はまだあなたのお役に立ちたいんですと。


僕は眠たいながらに判断した。
職務を惰性でこなそうとしているものと、無用と知りながらも職務に誇りを持ちやりきろうとするもの。
どちらを選ぶのが正しいか。

一般論で考えてたとしても後者が正しいと判断するはずだ。

僕は安眠枕のやる気に応え、腰が痛みはじめたことさえ気にせず再び眠りに落ちた。


気がつくと、昨日、安眠枕にワクワクしていた時刻になっていた。

しかしこれはデジャブではない。昨日のリピートでもない。
眠る時刻であるにも関わらず、僕は今起床したのである。
安眠枕のおかげで眠気は微塵も感じられない。

翌日は仕事である。

寝なくてはいけない。しかし、眠れない。眠れるはずがない。
寝なければ明日を生きることができない。しかし僕は今日という日を生きていない。
いや、今日という日を生きなかった分、明日を生きれば良い。
そのためには寝なければならない。眠れない。眠れない。眠れない。

悪夢の始まりである。
安眠枕は昨日のような冷たさで、僕の延髄を刺激する。頭が冴える。眠れないという確かな事実が心の深くに突き刺さる。


僕はゾッとして安眠枕を部屋の隅まで放りなげた。
ズシャリと鈍い音がした。
安眠枕はアーチを大きくひしゃげ、だんまりを決め込んだ。
中央のくぼみには仄暗い夜の闇が宿っている。
まるで光を失った瞳のようなくぼみで、不眠に苦しむ僕をあざ笑うのだった。


後日、その安眠枕をくれた人物にその夜のできごとを語ると、
やはり同様の経験をして、手元に置きたくなかったため僕に譲ったのだということだった。


おわり