ここ2年ほど、わたしの前に繰り返し現れる言葉。そして、そのたびにわたしのこころに違和感と疼きをもらたす言葉がある。




「変わらない」




変わらない。
そんなことをしても、何も変わらない、という意味の、変わらない。




ずっと、どういう意味か分からなかった。
この言葉自分にとって意味するものが、ずっと分からなかった。




わたしが変わりたくないと思っている気持ちが目に見えているのか?
わたしが変わりたいと思う気持ちへの抵抗か?




色々考えたけど、しっくりこなかった。



それが、なんとなく、腑に落ちてきた。




その意味。
わたしにとって、この言葉の意味。




●他人のせいにしても、何も変わらない。



ナリ心理学では、母親が「原因」でも母親の「せい」にしないでと言っているし、
7年くらい前にたまたま読んだ、「だからあなたも生き抜いて」には、うろ覚えだけれど、「今のあんたのようになった原因は他の人せいだけど、今自分の境遇から変わらないのはあんたのせいだ」というような言葉を筆者が言われた、という記述が今でも記憶に残っている。





他人のせいにしている間、世界は変わらない。
というか、他人のせいにする時期も必要で、それはそれで、その怒りがまた自分の原動力になるときもあると思う。
そうしていつの間にか、他人への怒りが原動力ではなくて、もう自分の足で歩き出せる時期には、もう他人のせいにしていても、思ったように前に進めない、ということかなと思う。





自分で歩き出すと決めたときから、世界は少しずつ少しずつだけれども、動き始める。
もちろん、他人のせいにすることも含めて、本当はみんながみんな自分を生きているとわたしは思っているけれど。 




色んな感情を整理していると、本当に、今までの出来事には自分なりの目的や考えがあったんだということに、気づかされて、驚く。
実際に起こった出来事には、自分以外の人も見渡してみて、個人差が本当にあって、ひとくくりには言えないけれど、その奥に、その人なりの、人生の目的みたいなものがあったんじゃないかと思わされることもあって、
自分や、その人が、その自分を受け入れたときの変化って、とてもパワフルなんじゃないかと予想している。







自分を責めて怒りなんかの感情を抑圧しているときに、他人のせいにするな、なんて言われても逆効果だ。




ひたすら、本当は、本当は怒っていた、本当はたくさん愛していた、本当はとても悲しかった、本当はつらかった、本当は大好きだった、あいつのせいだ、あいつのせいだ、を吐き出して、表現して、自分でその感情を表出すること、表に出すこと、他人に見せることを許可して、
ここをやらないと次のステップに進みづらい。

このステップを、見ないふり、大丈夫なふりをしたい気持ちがわたしにはたくさんある。
抑圧していた感情、特に怒りや悲しみに全身が乗っ取られるような感じがして、とにかくしんどいときもある。
無理せずカウンセラーさんとか、プロの手を借りるのもひとつの手だと思う。



そうやって感情を吐き出して、
少し楽になって、



その感情を生んでいる
自分のものではない価値観(こうするべき、こうあるべき)を見つけて手放して、



自分の価値観(わたしはこれが好き、これが嫌い、自分の快、不快)を知って、



自分に合う世界を創造して。




ここ最近は、これの繰り返し。
たくさんの人に頼ってる。




最初は、今までの価値観が無くなると、足もとが崩れた、世界が崩壊するような感覚になるかもしれない。わたし今ここを経験中。
自分の今までの世界が崩壊するんだよ。怖くね?
怖いんだけどさ、



ということは、自分がいれば何でも作っていけるってことで。
自分の世界が崩壊しても、残るものもたくさんあることに気がつく。まず、自分がいる。
崩壊した世界で、残ったもの、今まで見えなかったもの、もう一度手にしたいもの、もう手放していいものを、自分の感覚だけを頼りに進む。




ここ最近、こういう生き方も、ありかなと思う。