わたしはお恨み帳などで怒ってることを書くとき、できなくて悩んでいたことがあった。



●相手の名前を、どうしても書くことができない●



恨んでいる対象の名前を、毎回書くことができなくて、
「恨んでます。」

までしか書けなかった。



それが最近、ちょっとだけね、
名前までちゃんと書いてみたら、
めっちゃすごい怒りが出てきたムキー



あ、やば…と思って、その怒りすぐ引っ込めてしまったけれど滝汗



心理学の本とかは読んだことが何回かあって、
きっとなんとなく原因はこれだろうな、みたいな知識があって、
何か引っかかることがあるたびにお恨み帳とか書いてみてて、
確かに以前と比べたら楽になって、
「あたし、向き合えてる」と毎回嬉しくなってて…、



いや〜、それでもまだまだ、怒りって出てくるんだねぇ〜ニヤニヤ
なんかもう…泣き笑うしかない笑い泣き



自分は怒りを解放できたって思ってて、毎度これで楽になるかなと思ってても、さらなる火種🔥が出てくる。
なんか、ほんと自分で作った手の込んだゲームをやっているようだよ。
心理学とかカウンセリングみたいに大まかな攻略法みたいなのはあるけど、オリジナル要素も強い、みたいな。



毎回毎回
怒り解放、良かったー爆笑
ってなって、
また火種出てきたーえーん
って、なってる。



そのたびに、毎回思うんだけど、
「自分が怒ってるってのは知ってる、
自分が悲しいってのも知ってる、ある意味、知識として。
怒ってる、悲しいって、知ってたけど、こんなにだとは思ってなかった。
こんなに押し込めてたんだ。」
自分が怒ってるとか、悲しいのは知ってても、その程度がどれだけなのか、掘り始めると、自分で思ってるより、何万倍も怒ってることに驚く。



自分と向き合い始めた頃は、火種が出てくるたびに、
「まだまだわたしはダメなんだ」
みたいに思ってたんだけど、(もはやそもそも何がダメなのかも今では謎に思える滝汗)
最近ようやく、掘ったらもっと出てくるものだよなぁニコと思えるようになってきた。



新たな火種が出てくることで、最初の頃は自分を責めてたなぁ。
そのときは自分を責めるけど、その火種と毎回向き合うことで、確実に少しずつ自己否定も減っていってるし、
火種は出てくる思ってゆったり構えるのが良さそうだと悟ってきたショボーン
ある意味、怒りは宝みたいなものだと、むかーし誰かが書いていたんだけど、それも納得できる。
自分を発見できるもん。



そもそも目的は、自己否定を無くすことではなくて、自己否定を減らして自分らしく生きていくことなので、自己否定を無くすことが目的になってしまうとつらいのかも。



自己否定も生理現象なのかな❓自分の側面のひとつなのかな❓って最近思い始めてるから、自己否定をしている自分を否定してるってことで、やっぱり自己否定してるし、自己否定しちゃダメっていうのはトイレ行くなって言っているようなものかなって思ってきてる。



なんかね、
「わたしはもうこれで大丈夫❗️」っていう、分かりやすい見える形のお墨付きが今までどこかで欲しかったんだけど、
「お免状」的なもの、
そもそも何に対して大丈夫と言いたいのかも謎滝汗だが
「わたしはもう大丈夫だから、もう構わないで」的な❓
「自己否定してる自分でも大丈夫」と自分で思える、そんな自分でも大丈夫なんだと自分自身が知る、認識するのがいいのかなと思ってきてる。



で、
まずは、
相手をちゃんと名指しして、
この人にめっちゃムカついてるって、認識しようと思う。
「怒っちゃいけない」って、わたしまだまだ怒りを抑えてたんだなぁってびっくりしたし、こんな大きな深い怒りと向き合えるまで成長したんだなと思う。
怒りにとらわれるって言い方があるけど、怒りと向き合って、ガンガン解放して、
もっと自由になっていいんだと思います。

先ほど、もっと恨んでいいって自分で思えたら、自分に許可できたら、逆に気が楽になりました照れ