私の過去3 | コマブロ

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~ 泰然自若 ~

 

私の過去、思い出話である。
自己満足記になります。
暇つぶしにどうぞ。


〜私の過去3〜


(前回の終わり)
私の頭の中では、一人で渡米する不安と、母親のバックは発見されたが、何故100万も持ってきてるんだ、バックが出てこなかったら大変だったと思うことが重なり合い、複雑な気持ちで成田まで移動した。

成田空港に着く。

3 成田空港

成田空港に着くと、無機質に
素早くチェクインを済ます。

まだ搭乗まで時間があるが、母と別れることが、何だか気恥ずかしく、もう帰っていいよと促したが、最後まで送るという。

不安な気持ちを悟られないように努めるが、逆に顔が引き攣っていたように思えた。

何度もお腹空いてないかと聞く母親だが
浮き足が立っている私は
嗚咽感さえあった。

不安は、一人での飛行機移動が初めて、
また着いてから一人で移動、2、3日はホテルに滞在の予定だから、ホテルを探さないといけないと考えると不安だった。

滞在先も確定していない!?
無謀な行動だったと振り返ることがある。

親には不安がることないように
嘘をついていた。

あとで、ホテル探し、アパートメント探しに苦労するのだが・・・

無知は恐ろしい(笑)
と思う傍ら
若さは馬鹿で素晴しいとも思える現在

母との別れはなんともいえない空気だった

飛行機を乗る時間まで2時間はあったが
さっさとゲートに入った。

別れに、なんと声をかけてよいか解らなかったから
「じゃッ 行ってくるわ、じゃあね」
と足早にゲートを潜り、飛行機を待つことにした。

ゲートに入る前に
餞別をくれた。また例の100万もよこしたが
断った。

私の親は中小企業の経営者である。
周りから裕福だといわれるが
中身はそんなことはない。

小さいころから親を見ているが
苦労の連続だったのではないかろ思う。

会社の経営は大変だなと思っていた

そういった環境で育った私は
100万円用意したのは
無理しているのではないかと思ったし
17歳の私は大金だと思った。

「お母さん、アメリカは物価が安いので大丈夫だよ」
といって断った。

それでも餞別と持参金で10万円程になっていた。
当時のレートで700ドルぐらいだっただろうか。

何とかなるだろうと思っていた


簡単なお別れをして、ゲートを潜り、2時間ほど飛行機を待つ

待ってる間、不安を打ち消すため
地球の歩き方、とタバコに火をつける。

当時はネットがなかったので
旅行本に頼るしかない。

ついてからどうしようかな~とタバコをふかし
ふとっボンヤリ上をみる

!?

母親がこっちを見ているではないか

しかも未成年の私がタバコを吸っているのを見て
手で×のゼスチャーをしている。

なんとも忘れられない一瞬だった。


つづく


(次回は~)

母親に
タバコを吸っているところを見られ
気まずい私

すぐにタバコを消し
大きくバイバイと手を振る。

また早く帰れとのゼスチャーも入れた。

母は、私を見ながら少しだけその場に立ち止まり
帰った。
 
 
 
 
 
 
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