みなさん、こんばんはすまいる

生命の樹

今日から志事が始まりました。

3月までたくさんの方と生命の樹を分ち合う予定がありますキラキラ

2013年から生命の樹の意味、仕組み、使い方をお伝えする活動を始めて、

ちょうど3年経ちました。

活動の始まりは、

たいした自信もなく、

明確なビジョンもなく、

以下の3つをクリアできているわけでもない。

①真実である

②証明できる

③正しいものである

そんなスタートは、とても恐ろしかったです。

ですが、

ただ1つだけ、

確かだったことがあります。

それが、『自分に降りてきたものである』ということ。

それだけが真実だったのです。

Kenさんのお写真

その真実に従って、恐る恐る始めた活動が今へと運んでくれました。

今振り返れば、

その真実は、『もうすでに在る未来』から来たものだったと理解できます。

当時はまったくわかりませんでしたが。

3年のプロセスを経て、

未来から流れるもう1つの時間があることを知りました。

始めた時の心境として、

心の抵抗はありましたが、

深い所では自然な流れに乗ったというのがしっくりきます。

目の前に来たことを、

目の前に来たままに受け取って、

目の前に来たものが、自分の中を通り抜けるのを許可した。

その連続した流れが今の現実となりました。

そうした

『何かが向こうからやってくる』

キセキとマホウが起こったのは、

私なりの理由がありまして。

コツコツやっていたことがあるのです。

祈り

それは『お祈り』です。

『神様、どうぞ私をお使いください』と、

毎朝、毎晩、日中も、ことあるごとに祈っていました。

そして、いつしかとある心境に至りまして。

それが、

役に立ちたいでもなく、

役に立つにはでもない。

ふっと、ただ自分で在るという瞬間が訪れたのです。

その時です。

思考でもなく感情でもなく、

スピリチュアルな領域のものでもない、

体感覚につながった感じがしました。

それは、思考以前の感情、感情以前の体感覚としての本能とでも言うのでしょうか。

意識化できない自分自身、潜在意識、細胞、、

なかなか言葉では表現できないのですが、

とにかく、

そこに自分がいたのです。

つまり、自分を観ることができたその時です。

そこに風があるのを感じました。

そして、私はその風に身を委ねた、というわけなのです。

その時、もう自分としての能動的な祈りはなく、

向こうの祈りを受動的に受け取った感覚があったのでした。

満月

この時の受動の体験を言葉で表現するのはとても難しく感じますが、、

野口整体の創始者、野口晴哉氏のお言葉を読む度に、

受動の意味を考えさせられ、

その神髄を自分のものとしたいと思ってきました。

とても深いお言葉です。
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私はいつも人間の裡(うち)の能力を自覚し、

発揮することを説いている。

何のためかと言えば、それは獅子が空に向かって吠える如く、

狼が月に吠える如きものである。

いつ役に立つか、いつ目覚めるか、それを当てにして、

ただ吠えているのではない。

本能で共感し、生命でその振動を受け止めて、

同じように吠える人を求めて吠えるというより、

ただそうせずにはおられない裡(うち)の要求によって

余生の道を説き示しているのである。
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野口整体の創始者、野口晴哉氏

今年もさらなる風に運ばれていく!

そのために、10日の新月にしっかり乗ろうと思います(^O^)/