祖父と、お別れしました。




90歳でもお酒とお菓子が大好きで、


病気一つなく元気にしていたおじいちゃん。


91歳の誕生日の数日後、


祖母のために荷物を持って階段を登ろうとして転んでしまい、意識を失って。



救急車が来ても、高齢なのもありなかなか搬送先が決まらず


一時間近く家の前に停まったままで、病院に運ばれるまでかなり時間が経ってしまってた。 


停まった救急車を外で立ったまま見てるしかなくて


わたしも父もイライラしてたし、焦りもあるし、ほんとに長く感じた。


はやく!!ってどうにもならんことを


心のなかで文句言ってた。 ごめんなさい。



そこから、意識は戻ったけど半身麻痺出たり、


また意識が怪しい、食事が取れないから危ない。


と言われたら、


なんと自分で座るまで回復して、転院の話が出た。




おじいちゃん、100まで生きるな、これは爆笑



って話した翌日の夜明け前。


 


急変してしまい、


連絡が取れる親戚も少ない時間に一人で亡くなってしまいました。




コロナで面会が完全にできなくなっていたので


最後に会えたのはうちの両親だけ。


それも意識がまだはっきりしてなくて


会話はできてないままお別れになってしまった。





あまりに突然で、あまりに変わり果てて顔を見てしまったので


正直実感がなくて、


葬儀や火葬、初七日の法要が終わって


みんながばらばらと帰って静かになった今、


今更、突然実感が湧いて涙が止まらなくて。  




火葬までのおじいちゃんの顔が変わっていく様子、


私たち孫が子供だった頃も賑やかだったけど


ひ孫や家族が増えて30人以上になった親戚、


初孫だった同い年のわたしといとこが可愛がってもらったこと、


昔々のおじいちゃんの生活。。。


いろんな光景、いろんな話がぐるぐると頭に浮かんで


おじいちゃんの笑い声や、笑った顔、


お小遣いをくれて一緒にアイスを買いに行ったこと


。。。




つい最近はすこし認知症入ってきてて


たぶん私のことをまだまだ小さい私のころと重なって見えてたのか


アイス買うか?


お小遣い、やろかほんわか


って言われることもあり。。。。



あれこれ怒られた記憶もあるし


父と大喧嘩してるのも見てたし


古くてやかましいおじいちゃんでもあり


かわいがってくれたおじいちゃんでもあり


あれもこれも全部大事な時間だったな


と。




そして、独身でいい、と思ってるのに


初めて、こんなふうに生きられるのは幸せかもしれない。


って思った。



年上のおじいちゃんにブツブツと言うことも多かったおばあちゃんが、



棺の中のおじいちゃんに触れながら、


よう働いてくれて


みんな幸せにしてくれてありがとう


って言ったから。




顔見たくない。見られへん。と葬儀を嫌がった。


最後に顔をみて出たこの言葉。


どちらかというとクールというか人に対して冷めたところがあるおばあちゃんが


こんなことを言うとは思ってなくて。


聞いてから頭にぐるぐるして…



結婚、したいかも。


って。


不謹慎だけど。



なんか色んな気持ちがぶわぁっと出てきて


すごく苦しい…


みんながいるときなら良かったのに。


一人で苦しい…

 


亡くなったのも朝早くて


そのままお通夜、お葬式


足と耳の悪いおばあちゃんを支えつつ


喪主の家族だから早く遅く会場に行ったりで


疲れ切ってるのに頭がこんな感じで


眠りたくても眠れない…


HSPこういうときほんとしんどい。



明日仕事無理かも…