足りないものを獲得していく。というスタンスでいきていると、つらくなる。
もっとよくなりたい。と思うことは自然なことだけど
「どの地点」から言ってるか、に気付いていたい。
今を否定する地点から言っていないか。
感謝を忘れていないか。
占星術のマドモアゼル愛先生が提唱されている「月の欠損」理論。
何年か前に知って、YouTubeで聞いたり本も読んでみたけど
いまいちよくわかんないと思っていたけど・・
最近もう一度、関連の動画を聴いたら、すーっとなんだかしみこむように入ってきた。
・・・そう、かも、、、
そう、だった・・!
身に覚えがありすぎる・・!
そして「欠損」に注視すれば愕然とすれけれど
それは「月にとらわれて生きているならば」そうならざるをえないという前置きがあったのを、読み飛ばしてた。
確かに身に覚えがある過去のあれこれは
自分の月に引っ張られて、それが自分だと思い込んで、我を押し切ろうとした時にいつも散々な結果になったことの数々が思い出された。
それがバラバラのことではなくて、いつもそのとき月を使っていたのだなと、合点がいった。
そして、愛先生の月関連の動画を改めて聴き返していたここ数日だったのだけど。
昨日かな、愛先生が「私の理論を深く理解して、繋いでくれる人がいた」と紹介されていた「元専図」さんという方のYouTube聴いてみたら、これがとてもわかりやすく噛み砕かれていて、長尺なのにいつの間にか聴き終わる不思議な魅力の方でした。
(途中、月の話はなかなかに痛いのだけど、必ず最後は救いで終わるので最後まで聴くことをおすすめします)
月って、「肉体を持ってこの世に存在する私=自我の意識、エゴ」という夢(幻想)を見させるもの(「だから肉体を表す漢字は月 がつくでしょう?」と愛先生が言われててなるほどと思った)
そこに取り込まれた意識レベルで「よりよく」なろうともがいても、それは夢の中でのことだから、それは叶わないし苦しいばかりだ。
「月の支配(無意識状態(無自覚状態?)でそうなってしまう性(さが)、業みたいなもの)から逃れる」ということは、エゴで生きる稚拙さを卒業すること、を意味するのかなと思った。
(そして大袈裟な言い方をすればカルマ(業)から抜ける生きかた。
あるね、けどそこを生きないよ。って選択し続ける生きかた)
これからの時代すごい大事になってくる生き方だと思う。
この肉体こそが自分、有限な自分、で生きてると、どうしたって防御が最優先の緊張の状態がデフォルトになってしまう。
本当はそうじゃないんだよ。って学んでいく、というか思い出していくのがこの人生ゲームの楽しみ方なんだなって、思う。
いやー、まだ欠けたところを埋めようともがいていたなー
もうそこに構うのはやめて、進もう。
凹もあれば凸(いいところ)もあったのだ。
(月光反転法という智慧がちゃんと教えてくれてる・・!)
いいタイミングで教えていただいたな。
ほんといい時代だなー
ありがたいなあとしみじみ思います。