TABOO  ツイてる福人☆胤統・19 | それは突然に・・・ナニカと繋がる?

それは突然に・・・ナニカと繋がる?

感じることをあるがままに 書いています。

わたしたちの行動、思考のほとんどは


恐れからきています。


今日 わたしたちが仕事をしに行ったのは


何故でしょうか。


働かないと生活ができない。


家族を養えない。


欲しいモノが手に入らない。


他にも個人個人理由があるようです。



人に優しくする人も


人に冷たくする人も


根底は同じです。




スベテは 恐れからきています。



自分が自分でいる為に


自分を守ります。自分を否定されたり


自分を失うのが怖いからです。



わたしたちを突き動かしている正体が


恐れ である。と気づいてみてください。


それに 気づいて同じ行動をするのと


全く気付いていない。もしくは目を背けている


のとでは 全く自分の世界が変わるはずです。



あぁ・・・わたしが今まで無理をしていたのは


恐れていたからなのだ。


世界が今 このような世界であるのは


スベテ 恐れているからなのか。


気づいていらっしゃる方もずいぶん増えていると


想います。私でさえ気づき始めているのですから^^


今更言うことでもありませんかね^^



私は特別な能力も地位も名誉も何もありません。


でも このように 自分で書いていることに自分で


違和感を持つことが できるようになりました。


誰かに意見や気づきを与えるのに


特別な能力や地位や名誉がないと


多くの人は聴きいれてくれない。


という思い込みが 私自身にあるから


このような表現を書いてしまうのです。


これも 恐れからです。



何の地位も特別な能力もない自分が他人に


意見をしたり気づきを与える行為は


恥ずべき行為ではないのか。


多くの人に批判的な目で見られる。


批判的な受け取り方をされるのではないか。


スベテ 恐れです。



このように恐れを表現して書いていると


恐れは悪いコトである。と完全に認めている


ように感じて それに反論する人が出てきます。


恐れがあるから 良いという理論や考え方が


出てきます。これは人間の特徴で必ず


二極を持って判断するという いわば


もう人類にとって悪い癖のようなモノです。



二極があって判断できる。


存在できる。と 心底決めてしまっています。


しかし この中間こそ わたしたちが


覚醒しなければならない 重要なポイントであると


わたしは想います。




礼儀正しい人がいるから


礼儀正しくない人がいる。




しかし いくら自分が礼儀を重んじていても


相手が礼儀を重んじていなければ 礼儀そのもの


さえ どうでもいい 存在になります。


礼儀も多くの人に良く想われたい。


良くしなければ ならない。


そういった恐れから発信している想いです。


このように言うと また いや 私はそうしたいから


しているだけです。これが私にとって一番シゼンな


ことです。などと言う人がいると想います。



これも一つの真実ではありますが


根底には やはり恐れがあることを


認めてからのほうがもっと自分の世界は


広がると想います。



私は人より恐れすぎて 精神を病んでしまいました。


真友も精神を病んで ジサツしてしまいました。


今 日本のジサツ者だけでも年々増加しています。


それだけ 恐れに耐えきれない世界が社会が


そこに 在る からです。



わたしたちは目を覚まさなくてはなりません。



働かなくては生きてきけない。


能力がなければ認められない。


など 多くの外側からの影響を受けすぎています。


生まれ育った世界が ただ そうだったから


そう想い込んでいるだけに過ぎないのですが。


それを 絶対である。と錯覚して完全に受け入れて


しまっています。



わたしたちやあなたが誰かを尊敬するということは


あなたのナカに その人を素晴らしいと認識する


あなたがいるから その人を素晴らしいと


尊敬できるのです。



わたしたちやあなたの心のナカに悪があるから


悪が存在しているだけなのです。




重要なのは そこに在ることを


ただ 在る と観ることです。



良い・悪いでもなく


善・悪でもなく


損・徳でもなく


希望・絶望でもなく



スベテは ただ 在る。



そのことに 意味を付けるのは 自分です。


誰かが言ったことが 素晴らしいと感じるのは


自分のナカに その言葉が素晴らしいという 自分が


在る だけ です。


ですから 本来 自分以外に素晴らしい人はイナイはず


なのです。


わたしたちやあなたは 自分で自分を素晴らしい存在と


して自分を受け入れてイナイだけなのです。


自分を受け入れられないと 人は苦しみます。


私も苦しいです。まだ精神を病んでいます。


しかし 精神を病んでしまうほど 狂ってしまったから


観えた世界も確実にあります。


それが 重要だとか 重要でないとか


意味があるとか 無いとか どうでもいいのです。



ただ 新たに観えた世界が ただ 在ります。



ただ 在る だけ です。





誰かを尊敬したり


もっと知識を得たいと想っている限り


永遠にわたしちは 満たされません。



誰かを尊敬するということは


自分は尊敬に値しないと認めてしまっているからです。


もっと知識を得たいと想っているのは


自分には知識が無い と認めていて


知識が無い ことは イケナイことである。と


想っているからです。




わたしたちは もっと自分を尊敬するべきです。


誰とも比較する必要もありません。


誰一人として自分と同じ人などイナイのですから。


自分だけが カケガイノ ナイ 唯一の存在です。



自分をもっと 愛しましょう。


誰かを通じて 自分を確認することに意味はありません。


誰かは わたしたちやあなたでは無いのですから。



どうしても自分を愛せないのなら


何故 愛せないのか ゆっくり 深く考えてみてください。


外側の世界の影響がまず 原因の原点ではないでしょうか。


そして それを 一切疑わず 受け入れてしまっていた


自分に気づいてください。スベテは 外側の影響です。


しかし それに 気づいたなら 手放せるのは自分しか


いないのです。




確か江戸時代の言葉だったと想いますが


男は一歩外へ出たら7人の敵がいると想え。と


いう言葉があったと想います。


正確な表現は私には解かりませんが。



このような表現も実は 自分のナカに


7つの受けいれられない感情がある。


もしくは自分には7つの受け入れられない


自分の人格が 在る。 のが本当は


正しいのかもしれません。



なんせ 敵は 他でもない 自分だけですから。


自分のナカに 敵だと受け入れる自分が在るから


相手が敵になるだけのことです。







世界がこうだからだ。  世の中がこうだからだ。


その通りです。生まれ育った時にはそのような


世界でしたから 疑いようがありません。


しかし 今 多くの人は 覚醒し始めています。



私なんかがこのようにブログで他人様に意見を


言うなんてことは 想像もしていませんでした。


ただ ズット長い間 多くの人の ナニカ に


良い影響を与えることを 一生を通して生きて生きたい。


という 漠然とした想いはありました。


しかし 自分にはそんな資格はナイ。


自分は有名でもなければ 特別な能力もナイ。



このように 自分で自分を否定し続けていました。




そして 何より 自分に自信を持つことが


何故か 傲慢なような気がしたり オゴリ高ぶった


何故か 自分で許せない 存在のように想っていました。


しかし たぶんこれが 多くの人が陥る 罠だと想うのです。




このような原点にあるのは 恐れです。


人に良く想われたい。


人に優しくしたい。


もっと沢山あると想いますが この


~たい。や ~しなければならない。などは


全部 幻です。 嘘です。



本当に この 現実世界から覚醒できたなら


わたしたちは 何も 意識せず 無意識で


成りたい 自分に成っています。


そして 外側の目に 自分が見せたいように


見せることができるようになります。



意識したモノに 本物は ナイ みたいです^^



神を意識しすぎている人は 神を生きていないからです。


神を意識しない人は 神を生きているからです。



わたしたちが生きるのに酸素が必要です。


でも 仕事をするのに多くの人は酸素を意識しないで


仕事をする職業をしていると想います。


酸素を意識することと しないこと。



この ことと 同じように


神は自分なんです。


意識しなくても 神は自分であると気づいてください。


正確には 私は 自分は 神の一部だと想っていますが^^




神とう言葉が必要ナイ人は すでに神を生きているの


かもしれません。


人間はすでに得ていることに対して 意識しない習性が


あるようです。




神という言葉に囚われすぎてしまっている人は


神を生きていない。もしくは 神を生きなければナラナイ。と


想っているのかもしれません。





わたしたちは 永遠の無いモノ ネダリです。


覚醒という言葉でなくても 全く構いませんが


覚醒しない限り 永遠に求め続け 自分を無意識で否定


し続けます。



かといって 覚醒したからといって 永遠に求めることが


無くなる訳では ありません。



わたしたちは この現実界において永遠なる存在です。


輪廻転生を信じている人にとっては この現実界だけでなく


記憶を消されてまた この現実界へやって来る 永遠の


存在でしょう。




どうやら わたしたちは スベテにおいて


永遠がついてまわるようです。




ですから どうせなら 自分で自分を満たす決断をして


その 永遠を生きたほうが 楽しいと想いませんか^^


わたしたちを苦しめているのは その苦しみの原因を


苦しみとして 選択し 受け入れた自分の責任です。


苦しみを 苦しみと受け入れない。という決断もできるのです。




このような言い方をすると


あぁ・・・やはり 全部自分の責任なのだ


自分はダメな人間だ。


このように 想う方もいると想います。


では 何故 自分はダメな人間だと決断するのか


理由と原因を もう一度 深く考えてみてください。



たぶん それは 恐れと 外側の影響による


錯覚して受け入れてしまっただけのことだ。と


気づくはずです。




自分だけが


この いま を 


創造できる 唯一の 存在です。


この 今 の現状や精神状態は


自分で選択し 受け入れているだけなのです。


だったら 自分の都合の良い


一番満たされる世界を ジ ブ ン で


創造しましょう。


相手の反応など 一切関係ありません。


相手は相手の都合の良い世界を生きているだけ。です。


楽になるのは 早く覚醒したモノ勝であるようです。



こんなことを書いているわたしは 一体どうなのよ?


解かりません。


人間は永遠に絶対的なモノなど得られないから


生きていけると想っていますから^^


だから 苦しみも生まれるのですが


それを苦しみと 受け入れるのかは


創造主である自分の責任です。




私の人生は いま も混乱こそ我が人生で


あるようです。


それは 混乱こそ我が人生と受け入れている


わたしが 在る からです^^




わたしには目標があります。


この自分の人の ナニカ に良い影響を与える


生き方を 本という形で 世に送り出すことです。


実績も地位も才能もナイ 私が世に出ること。


亡き 真友との約束でもあった有名になるという


情熱。何故 有名に成りたいのかは よく自分でも


解かりません。小学生の頃からの 夢でした。


しかし 夢は 叶わないから 夢であると


理解したわたしは 今 目標へと 変えました。



数か月前 出版社の副社長さまから


私のブログはメッセージ性が強いので


本として出版できるかもしれない。という判断を


頂きました。そして その為の判断材料として


東京でトークイベントをしてみましょう。というお話まで


頂けたのですが 副社長さまと編集者さまの意見が


合わず 出版のお話は今回は 見送りとさせて頂きたいと


言われてしまいました。



でも チャンスは確実に まだ1度ですが


頂けました。



亡き真友の名前と共に私はこの世に


自分達の名前を送り出したいのです。



そして 私はこの病気になって 心底自分が生きれる


世界は 自分の世界だけであると 確信しました。


この 自分の世界を生きる以外 この現実界において


私は 生きていけないようです。



出版関係の皆様 


私達は いま ここ に おります。



繋がってください。




何卒 宜しくお願い致します。












今日も繋がって下さった皆様


本当にありがとうございます。



ペタのお返しができるか


まだ解かりませんが



私がペタをお返ししないのに


ペタを下さる皆様


本当に ありがとうございます。



いま の 私の 心の支えになります。



矛盾するのも人間だと想うのは


私だけでしょうか。



自分の都合の良い方へ考えているだけ。


なのでしょうか。



はは^^


混乱しています。








今日も本当にありがとうございました。





失礼致します。









                         ツイてる福人☆胤統