こんにちは照れ

ごきげんライフコーチング&セルフコーチングジャーナル認定コーチのゆうゆうこと、さとうゆほです。

北海道で家族4人、自給的田舎暮らしをしながら、毎日をごきげんに生きるために役立ちそうな『タネ』を発信しています。

 

 

本日は家族ネタです。

興味ない方はスルーでお願いしますウインク

 

 

11月23日は、勤労感謝の日。

そして、わたしの両親の結婚記念日でもあります。

 

父86歳、母82歳。

父は北海道で、母は中国で。

太平洋戦争のさなかに生まれ育った2人が、北海道で出逢い結婚し、わたしが生まれました。

 

 

こちらの写真は、母が20代の頃の家族写真です。

後列左が母です。

 

 

祖父も祖母も、美男美女ですねウインク飛び出すハート飛び出すハート

 

 

祖父は若い頃から中国で仕事をしていて、幼い兄弟を食べさせるために仕送りをしていたそうです。

 

北海道に一時帰国の際、近所に住んでいた幼馴染の祖母と結婚し、中国へ。

母が生まれ、妹が2人、弟が生まれました。

終戦後も中国に留まり、帰国したのは昭和23年。

母が9歳の時でした。

 

動乱の時代。

一歩違えば、母たち家族は帰れなかったかもしれません。

あるいは、家族がバラバラになっていた可能性だってあります。

 

北海道に帰国後、母は旭川で就職し、父とは母の親戚が紹介したお見合いで結婚しました。

 

結婚後まもなく、父は安定していた地方公務員の職を辞し、東京へ。

義理のお兄さんが立ち上げた建設現場の監督として、朝から晩まで働きました。

 

北海道で生まれたばかりの姉と、東京で生まれたわたしと妹。

忙しいなかでも、休みの時にはキャンプに行ったり、動物園に連れて行ってくれたりと、優しい父でした。

 

 

オイルショックの影響で会社が傾き、父は飲食店で修業し、

その後、再び北海道へ。

住んでいた道北の小さな町ではなく、札幌で小さな飲食店を開き、わたしたち姉妹を育ててくれました。

 

 

改めて振り返ると、両親が出逢い、結婚しなければ、いまのわたしは間違いなくいませんでした。

 

それを思い出させてくれた1日。

 

 

両親は、今は同じ施設で一緒に暮らし、コロナもあってなかなか会えない日々です。

 

 

両親には感謝しかありません。

結婚記念日、おめでとう。

そして、ありがとうございます。

 

 

 

本日も最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。

今日も明日も、素晴らしい1日になりましたことを先取り感謝しますウインク