ハノイでは4週連続で反中デモが続くなど、まだ収まらない両国の南沙諸島を巡る領土問題に端を発するいがみ合い。日本からの視点はどうしても中国の勃興とベトナムの抵抗という、国際政治レベルの論じ方にはなってしまいますが、庶民レベル、特にベトナムではどう思っているのでしょうか?そして、それを伝える中国メディアはあるのでしょうか?答えは「多くは無い」と言わざるを得ないのですが、今回手に取ったVista看天下6月28日号の中越関係特集中の一篇に、少しそういった庶民感情に触れた報道記事を見つけました。両国の争いの歴史を(基本的には中国側の公式見解に沿って)紹介する一段もありますが、そこは省略してむしろベトナム人、特に若いベトナム人の中国に対する思いの部分を紹介しながら、ベトナム人の反中感情について考えてみます。(以下は記事要約)
雲南省河口と国境を接する、ベトナムのラオカイに住む25歳の彼は国境を越えて雲南省蒙自市にある紅河学院で大学を卒業し、習得した中国語を武器にベトナムに戻った後は中国の投資する高速道路建設プロジェクトで勤務中。今はベトナムで中国語のできる人材はなかなかの高給取りだが、彼は給料は語ってくれない、「中の上くらいだよ」としか。
そんな中、関係がどんどん悪化する中越関係。ただ、ここラオカイでは日常生活に変化はない。ここは中国と近過ぎる。毎日中国からの観光客が入ってくるし、ベトナム住民も中国側に行く。彼らにとって国境線は「中国側に行くとお茶を良く飲み、ベトナム側ではコーヒーを良く飲む」くらいの意味しかない。
彼に中国がベトナムを援助していた時期について聞くと「ベトナムはそのことを忘れない、我々は恩義を忘れるような人々ではない」と答えた。中越戦争については、彼の両親は多くを語らないと言う。戦争の原因については、父母の言葉を借りつつ「中国がベトナムを叩いたのは、ベトナムの政府レベルで過ちを侵した人がいたんだろう」と言う(訳注:これはベトナム人としてはかなり珍しい意見かと思います)。しかし、地に流れた血は取り返しがつかない。(訳注:これ以降、王錦思氏の文章が引用されていますが、それについては以前に取り上げた中国人が紹介した「ベトナム人は中越戦争をどう見ているか?」をご覧ください。記事内ではベトナムの歴史博物館で、中国に抵抗した人が常にベトナムの英雄であることを紹介しています。)
1990年、ベトナムのグェンヴァンリン総書記が「誤った政策を正し」(訳注:カッコは筆者)中国との国交正常化に動き出した時、5歳だった彼にとってそれはラオカイに中国人と中国商品が増え始めたことを意味した。当時延べ一万人ほどだった国境を通る中国人観光客は2005年には752万人にまで増えた。今日のラオカイでは工事現場のトラックは中国製のHOWAか東風、ただ乗用車は日本のホンダか韓国の現代が人気だ。地元の人にとっては中国商品は安いが質が悪く、TCLが比較的売れるのはそれが韓国ブランドっぽいからだ。
国境地域に住む彼のようなベトナム人は、両国の新聞を読んでいる。「双方で言い分が全然違う。あちらはベトナムが中国領海を侵犯していると言い、ベトナムはその逆だと言う。それぞれ意見はあるのだろうが、自分が知っているのは、我々は中国とは絶対戦いたくないということだ。こんなに小さい国でどんな馬鹿が中国に挑戦しようとは思うと言うんだい?」。少し緊張感が緩まってきた感もあるここ数日の動きは、この青年の読みの中にあるようだ。彼にとって今最も重要なのは、早く彼女を見つけて結婚することだ。(以上記事要約)
【考えたこと】
微妙な文章だと言うのが第一印象。もう少しガツンとベトナム国民心理に迫ってくれるかと思いましたが、その点についてはちょっと物足りなかったでしょうか。ただ、中国側の論理からは抜け出さない限りで、この中国でも(紅歌はともかく)愛国主義が声大きい時代に、極力ベトナム人が感じる脅威を伝えていると言える文章だと思います。ここにも出てくる王錦思という方の文章も含め、勃興する中国を恐れるベトナムの国民感情を、中国語メディアが伝えることは非常に意義があると思います。
ラオカイという国境にいて、中国という存在に自らの仕事も関係している彼の意見がどれだけベトナムの80後を代表するかと言えば難しいと思います。もっと不満をむき出しにして語るベトナム人青年が周りには多いです。しかし、彼が仕事なども含め中国と切っても切れないという様子・現状は、まさに経済的に中国にかなり依存しているベトナムそのものの比喩・メタファーのようでもあります。そしてベトナムが中国と本気で戦おうとは思っていないのは、周りの若いベトナム人と話していても良く分かりますし、冷静に考えて難しいことは指導部だって重々理解しているでしょう。とにかく、どんどん出てくるように見える中国に対して、ベトナムとしては譲れない一線を守りたいということなのだと思います。この意味で若いベトナム人と同様、ベトナムの対中政策も複雑です。
この記事でも社会科学院のベトナム研究専門家・潘金娥氏が「ベトナム指導部が7月の新国会で発表される前に強硬姿勢を打ち出し、国内感情に合わせようとしたことが若い世代の反中意識をを醸成した」と指摘していますが、このベトナム内政の微妙なタイミングとの関連は、先日書いた拙ブログ記事(ベトナムはどうして「突っ張る」のか?―ベトナム国内事情から中越関係を見る)でも触れたところです。同時に潘金娥氏は「ベトナムには中国の急速な成長に対し広く懸念を抱く感情があり、これらが交わり合って民間と政府双方が強硬姿勢で合体してしまった」としています。
正に、この根底にあった不安心理を中国の人たちにも多少でも理解してもらえれば、それがこの記事の一番の意味合いかなあと思います。Vistaはすごく深い記事ということはありませんが、テーマの取り上げ方など面白い雑誌ですので、また続編を期待したいですね。
雲南省河口と国境を接する、ベトナムのラオカイに住む25歳の彼は国境を越えて雲南省蒙自市にある紅河学院で大学を卒業し、習得した中国語を武器にベトナムに戻った後は中国の投資する高速道路建設プロジェクトで勤務中。今はベトナムで中国語のできる人材はなかなかの高給取りだが、彼は給料は語ってくれない、「中の上くらいだよ」としか。
そんな中、関係がどんどん悪化する中越関係。ただ、ここラオカイでは日常生活に変化はない。ここは中国と近過ぎる。毎日中国からの観光客が入ってくるし、ベトナム住民も中国側に行く。彼らにとって国境線は「中国側に行くとお茶を良く飲み、ベトナム側ではコーヒーを良く飲む」くらいの意味しかない。
彼に中国がベトナムを援助していた時期について聞くと「ベトナムはそのことを忘れない、我々は恩義を忘れるような人々ではない」と答えた。中越戦争については、彼の両親は多くを語らないと言う。戦争の原因については、父母の言葉を借りつつ「中国がベトナムを叩いたのは、ベトナムの政府レベルで過ちを侵した人がいたんだろう」と言う(訳注:これはベトナム人としてはかなり珍しい意見かと思います)。しかし、地に流れた血は取り返しがつかない。(訳注:これ以降、王錦思氏の文章が引用されていますが、それについては以前に取り上げた中国人が紹介した「ベトナム人は中越戦争をどう見ているか?」をご覧ください。記事内ではベトナムの歴史博物館で、中国に抵抗した人が常にベトナムの英雄であることを紹介しています。)
1990年、ベトナムのグェンヴァンリン総書記が「誤った政策を正し」(訳注:カッコは筆者)中国との国交正常化に動き出した時、5歳だった彼にとってそれはラオカイに中国人と中国商品が増え始めたことを意味した。当時延べ一万人ほどだった国境を通る中国人観光客は2005年には752万人にまで増えた。今日のラオカイでは工事現場のトラックは中国製のHOWAか東風、ただ乗用車は日本のホンダか韓国の現代が人気だ。地元の人にとっては中国商品は安いが質が悪く、TCLが比較的売れるのはそれが韓国ブランドっぽいからだ。
国境地域に住む彼のようなベトナム人は、両国の新聞を読んでいる。「双方で言い分が全然違う。あちらはベトナムが中国領海を侵犯していると言い、ベトナムはその逆だと言う。それぞれ意見はあるのだろうが、自分が知っているのは、我々は中国とは絶対戦いたくないということだ。こんなに小さい国でどんな馬鹿が中国に挑戦しようとは思うと言うんだい?」。少し緊張感が緩まってきた感もあるここ数日の動きは、この青年の読みの中にあるようだ。彼にとって今最も重要なのは、早く彼女を見つけて結婚することだ。(以上記事要約)
【考えたこと】
微妙な文章だと言うのが第一印象。もう少しガツンとベトナム国民心理に迫ってくれるかと思いましたが、その点についてはちょっと物足りなかったでしょうか。ただ、中国側の論理からは抜け出さない限りで、この中国でも(紅歌はともかく)愛国主義が声大きい時代に、極力ベトナム人が感じる脅威を伝えていると言える文章だと思います。ここにも出てくる王錦思という方の文章も含め、勃興する中国を恐れるベトナムの国民感情を、中国語メディアが伝えることは非常に意義があると思います。
ラオカイという国境にいて、中国という存在に自らの仕事も関係している彼の意見がどれだけベトナムの80後を代表するかと言えば難しいと思います。もっと不満をむき出しにして語るベトナム人青年が周りには多いです。しかし、彼が仕事なども含め中国と切っても切れないという様子・現状は、まさに経済的に中国にかなり依存しているベトナムそのものの比喩・メタファーのようでもあります。そしてベトナムが中国と本気で戦おうとは思っていないのは、周りの若いベトナム人と話していても良く分かりますし、冷静に考えて難しいことは指導部だって重々理解しているでしょう。とにかく、どんどん出てくるように見える中国に対して、ベトナムとしては譲れない一線を守りたいということなのだと思います。この意味で若いベトナム人と同様、ベトナムの対中政策も複雑です。
この記事でも社会科学院のベトナム研究専門家・潘金娥氏が「ベトナム指導部が7月の新国会で発表される前に強硬姿勢を打ち出し、国内感情に合わせようとしたことが若い世代の反中意識をを醸成した」と指摘していますが、このベトナム内政の微妙なタイミングとの関連は、先日書いた拙ブログ記事(ベトナムはどうして「突っ張る」のか?―ベトナム国内事情から中越関係を見る)でも触れたところです。同時に潘金娥氏は「ベトナムには中国の急速な成長に対し広く懸念を抱く感情があり、これらが交わり合って民間と政府双方が強硬姿勢で合体してしまった」としています。
正に、この根底にあった不安心理を中国の人たちにも多少でも理解してもらえれば、それがこの記事の一番の意味合いかなあと思います。Vistaはすごく深い記事ということはありませんが、テーマの取り上げ方など面白い雑誌ですので、また続編を期待したいですね。