中国にいながら横目でベトナムを見る今日この頃。「チャイナ+1」候補筆頭として見られることも多いベトナムですが、その理由の一つには「政治的に安定している」ということ。「民主的ではないのを差し引けば間違ってはいないかなあ」と思うベトナムの安定に対する「死角」の一つが少数民族問題です。なかなか情報が入って来ない中、中国情報に比べると日本人にとっての両国「情報格差」に関しては日々考えさせられることが多いとは思っていた中ですが、BBC VietnameseがHmong族の暴動について大きく、かなり詳細に取り上げているところ、かなり凝縮した形ではありますがまとめてみました(以下、幾つかの記事の内容を合わせて要約)。

北京で考えたこと-muong nhe map
AのピンがMuongNhe-ベトナム北西部にある同地は北に中国、西にラオス国境という位置

BBCが伝えるベトナムHmong族の暴動
 BBC Vietnameseが5月4日から報道するところによると、ディエンビエン省MuongNhe県でHmong族の暴動が発生した。事件は4月30日から始まり、一時期規模は5000人にも及んだという情報もある。BBCは元MuongNhe県書記に電話インタビューを試み、彼は「民族団結を壊す活動」を非難しつつ、数千人規模の暴動があったことを認めた。Hmong族の暴動参加者は一部地方幹部を拘束して、信仰の自由と「独立王国」建設を要求。信仰の具体的な内容は不明だが、彼らは「約束の地に超然たるものが現れる」と考えている。

Hmong族、Muonh Nhe県とは?
 Muong Nhe県は人口55000人、ディエンビエン省都であるディエンビエン市からは200キロの距離。同地は3万人ほどHmong族が住み、多くはプロテスタント(訳注:ベトナムのキリスト教徒はカトリックが多数であり多くは政府と友好的な関係であるが、プロテスタントは海外反政府勢力とのつながりを疑義され、それ自体で政府にとって「センシティブ」な存在)を信仰しており、かなり敬虔な信徒が多いという。

(訳注:Hmong族:日本語にすれば「モン族」は中国で「苗族」と呼ばれる民族と同系で、ベトナム北西部に多く居住するベトナムの少数民族。中国語での「苗」はベトナム語でいう「Meo」ですがそれは従来同民族への蔑称だったことから、ベトナム語ではHmongと呼ばれています。)

北京で考えたこと-nha
北西部地域少数民族地域の住居。北西部は経済的にはベトナムで最も貧しい地域とされている。


錯綜する情報、制限されるメディア
 死者が出たという情報もあり、現地のアメリカ大使館も情報を確認中。規模としては04年中部高原暴動以来の規模で、6日もHmong族住民が集まるなど緊張は続いている。28人の死者が出たというワシントンの治安・開発・人権などの調査団体、センター・フォー・パブリック・ポリシー・アナリシス(CPPA)の情報もあるが、BBCはそれを確認できてはいない。

 国内メディアはこれまで沈黙を保ってきたが、木曜日(5日)からはディエンビエン省政府官房高官のコメントを引用する形でベトナム通信社が「純朴で信じやすい民につけこみ、悪い情報を流して騙し、秩序を壊そうとする企みだ」と糾弾している。現地紙記者が現場に入っている様子は見られず、関係者によれば「Muong Nheは今はほぼ出入禁止」、周辺地方にもHmong族の移動を禁じるよう命令が出ている。地方政府は幹部を現地に行かせるよう指令が来ており、また軍隊も現場に既に向かっている(訳注:後述もするNNAの記事曰く、オーストラリアのベトナム専門家、カール・セイヤー氏は、「ベトナムには、地方の民兵や軍、機動隊など、各種の治安維持部隊がある。軍が派遣されるのは異例だ」としています)。

センシティブなタイミングと今後の行方
 5月7日はディエンビエンフーの戦い戦勝記念日で、毎年記念式典が行われる。また、今は5月22日に国会議員選挙を控えた時期でもあり、その意味でも政治的に微妙な時期でもある。外国メディアは現場に近づけくことはできない。メディア対応をするベトナム高官は外国メディアに対して「情勢は安定している。ただ、天気も悪く、また戦勝記念日イベントもあるため、現場には行ける時期ではない」と外国メディアに説明している。(以上、各種記事要約+それへの注釈)
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ディエンビエンフーの戦いの現場である「A1の丘」

【考えたこと】
 Hmong族の歴史、最貧困地域であるベトナム北西部の社会条件、キン族(ベトナムの多数民族)の北西部地域への開拓移民、ベトナム戦争とHmong族などなど、切り口は無数にあるこの事件の各種背景はどれ一つとっても本が書けそうなくらい深いものです。ただ今回パッと考えたのは、上記情報がほとんど日本語メディアになっていないことです。唯一NNAのみが情報を伝えています。ベトナムのメディア規制はかなりしっかりしているので、国内メディアがほとんど報じていないこともある程度功を奏しているのかもしれません

 もちろん、まだ情報が錯綜している、事実確認ができていないなどあるかもしれませんが、一応ベトナムの国内メディアが取り上げない(取り上げられない)ニュースを伝えることでは有名なBBC Vietnameseがこれだけ大きく取り上げて数日になるのに、日本メディアに反応が非常に少ないことには驚きました。中国でこれが起きていたら、多少未確認情報でもそれを踏まえつつ相当報道されていただろうなあと。まあ、中国とベトナムの日本との距離から考えれば当然と言えば当然なのですが。

 ベトナムにおいてこれまで少数民族問題と言えば、中部高原地域(こちらについては以前のブログ記事「中国がベトナムに学ぶ・その2」も少しご参考に)が焦点となってきました。北西部も少数民族が多数な地域ですが、経済問題としての貧困削減は課題なるも、政治的な問題は表面化していませんでした。中国、ラオスに国境を接する地域と言う意味では、ベトナム戦争時代から軍事的な要所で、それがゆえにキン族が早くから移住し(国家の要請に応じた形の移住が多かった模様)、北西部も都市部はキン族が多い場所が多いです。中国の西部地域にも見られるような人口モザイク状態は、やはりどこか潜在的な緊張関係があったのでしょう。

 この記事を書いている今日は上述もしたディエンビエンフーの戦い戦勝記念日。情報が少ない中でどうなっているかを知るすべも少ないですが、状況が如何転がっていくかには予断を許しません。遠くからではありますが、引続き追って行きたいなあと思っています。