横浜市戸塚区平戸 東戸塚ピアノ教室🎹
です。
実家にあった、
「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」
を読みました。
父が地方紙にて、以前本の紹介をしたようで、文中にはラインや付箋が貼ってあります。
読みながら、過去の色々なことを思い出し、ハイスピードで読了。
中村紘子さんとは家族ぐるみで交流がありました。
私は時々しか『中村紘子先生』とお呼びするチャンスがなく、
大変失礼ながら、ほとんどは「中村さん」「紘子さん」「中村紘子さん」とお呼びしていました。
演奏会に伺うことはもちろんのこと、レッスンではなく、ご自宅に遊びに伺うことがありました。
他人の悪口は決して仰いませんでしたが、エッ!!と驚くような事実のお話しは大好きで、楽しいお話しを沢山して頂きました。
愛犬のミニチュアダックスフンドも可愛いかったですね。(憧れて、ミニチュアダックスフンドを飼いたいと親にお願いしましたが、却下されました、、)
演奏会が終わった後、私の両親は、紘子さんが颯爽と運転される車に乗り、道沿いにある庶民的なファミリーレストラン(レッドロブスター🦞やロイホ)で食事をご一緒して帰宅したこともありました。
そして当時、中村紘子さんがカレーのCMに出演されていらして、「カレーパーティーをするから」とお呼ばれし、CMで見た光景がご自宅であったことを覚えています。
「コマーシャルみたい!!」と。
本にもプライベートなことが書いてありますが、ご主人様の庄司薫さんに関わる、いわゆる主婦業はきちんとなさっていらしゃったようです。
庄司薫さんとゴルフに行く前日に、父がゴルフウェアーを自分でアイロン掛けをしながら、「庄司さんのウェアーは、中村紘子さんがアイロン掛けをするらしいぞ!」と言っていたのを思い出します。
気さくなご性格でいらして、ご自宅リビングの隅に置いてあったビニール袋の中に、演奏会で着られたドレス、着てないドレス(ご主人様が似合わない、と仰ったとか…)が入っており、厚かましくも頂いてしまったことがありました。もちろん、現在も大切に保管しております。
当時、もちろん大ピアニストだったことは肌で感じていましたが、改めて偉大なピアニスト、作家だったことを感じます。
中村紘子さんがピアノ、音楽の勉強をされるきっかけとなった「桐朋学園大学附属 子供のための音楽教室」に勤務しているのもご縁でしょうか。
(やはりソルフェージュの力もずば抜けていらしたようです。)
まだまだ沢山思い出されますが、キラキラ美しくていらして、人脈広く、大変社交的なピアニストはなかなかいらっしゃいません。
(私のレッスン室に飾ってある、中村紘子さんとワンちゃんと私の3ショット写真を見ながらのブログです。)
