ありがとうという言霊 | これはフィクションです??

これはフィクションです??

「日本酒 呑みました」
「こんなお酒を呑んで見ました」※その他
「こんな焼酎呑んだじゃん」
「こんな味醂飲んでみりん」
で呑んだお酒について書いています。
「思うこと」時事ネタ。
「詩?」は以前に気ままに書いた詩っぽいものです。

ありがとうございます。
感謝の言葉。

スピリチュアルでも現実でも、口にすると良いと言われる言葉です。
もちろん無理に言うことはありませんし、苦行の最中に感謝は出来ないと思います。
また「ありがとう」と言霊を口にするだけで少しづつ変わってくると言う方がいますが、どうなのでしょう?



そもそも感謝はどこから出てくるのでしょうか?

何かを頂いて、
何かをしてもらって、
何か用事に付き合ってもらって、
と、当たり前ではない事をしてもらった時に出てくる念ではないかと思います。

逆説的に感謝の言葉が出てくるということは、その出来事が当たり前ではないと知っているということだと思います。

時々、感謝出来ることを探そう、という言葉を見ることがあります。けれど素直な感謝と言うものが当たり前で無い事に対して湧くものだとすると、そもそも起きる事柄を当たり前と捉えているか否かで決まってくるのかもしれません。

とすると、感謝出来ることを探すというのは、イコールで"してもらって当たり前でない事柄を探す"とも言えますし、"当たり前でない事柄を増やすこと"かも知れません。


つまり、
感謝がすっと出てくる人は、その事柄が当たり前でないと感じているから直ぐに感謝が出来る。

逆に感謝があまり出てこない人は、その事柄が当たり前だと感じている、当然の事だと感じているから、そもそも感謝の念を感ていない。
という事かも知れません。


とは言え、ある種の礼儀として「ありがとう」と言うことも多々あるでしょう。
けれど「ありがとう」に限らず、言霊というのは文字通り"言葉に思いという霊力が籠もることで力を持ったもの"だと思います。

なので感謝の念がなければ効果は薄い気もしていますし、そういう意味では無理に言う必要は無いと思っています。
一方、言葉にすることで思考に変化をもたらす効果はあるとは思いますので、先ずの切っ掛けとしては大きいとも思います。

どちらにせよ、大切な言葉には違いありません。



また、感謝できる事柄は"自分が受け入れられた事柄"に限られるとも思います。

嫌な事、悪い事で感謝が湧く事はありますが、その時というのは嫌な事があった時ではなく、その出来事を自身の力として昇華、あるいは念を払えた、捨てることが出来た時ではないかと思います。

つまり"嫌な事柄をそのまま感謝をしているわけではない"ということです。あくまでその経験などの傷を癒せたからこそ湧く感謝で、ある意味その経験をもたらした相手に直接感謝するものではないものだと思います。


良い事にしても、例えばあまりにも高価な物を貰った、大き過ぎるチャンスを貰ったとなると、かなりの人が慌てるか思考をフリーズさせるのではないでしょうか。
多分、大多数の人がうまく感謝出来ないと思われます。

思考が止まる、乱れるということは、イコールその事柄を受け入れられていないということ。だからまともに感謝することが出来ない気がします。



ここまで考えてみると、「ありがとう」という言葉は無理に言う言葉ではないと思います。
同時に自然に出せるようにしたい言葉だとも思いました。

ありがとう、言えていますか?

当たり前という奇跡に感謝する。
もしかすると、「ありがとう」はそのための言葉かもしれませんね。



※ちなみに"ありがとう"という言霊の実験は幾つかあります。
何を対象に声をかけたにせよ、基本、信じているかどうか、どういう思いで言ったかで結果が変わります。
(100%ではありません。個人差があります)