あの日あの時、3月11日午後2時46分、一人で事務所にいました。
「?」はじめは風かな、と思いました。
建物がいやな音を立てて撓む。
 
ゆらゆらとゆっくり揺れ始め、その確信に満ちたゆれ方は
山口県で体験した阪神大震災の揺れに通ずるものがあり
「これは大きいかも」とNHKをつけました。
国会中継中でしたが
「揺れています揺れています安全を確保してください」
とアナウンサーが叫んでいました。
 
大きな振幅でゆっくりゆっくり揺れ続けています。
展示してある石塔がちょっとまずい位揺れはじめました。
左右に揺さぶられて振幅がどんどん大きく。
壁際に立っている本小松の観音様が特にやばい。
 
ちょっと抑えてやれば倒れないかもしれない・・・
でもそれをやるとかなりの高確率で死ねる、
と知識として知っていたのでただ見守るだけ。
 
弱まったか、大丈夫かと思ったら大きい揺れが来て、
「がちゃんがちゃん」と想像より軽やかな音がして五輪塔が倒れ、
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事務所の前の大名墓の宝珠と9寸角の竿石がガラスを突き破り
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停電になってテレビ、蛍光灯が消えました。
 
それらが殆ど同時に起こりました。
 
その後も余震は続いていたみたいですが、もはやどうでも良い感じ。
良く覚えていません。
近所の人と妙にハイになって笑いあっていた記憶があります。
 
でも、不思議な感情が湧き上がっていました。
それに一応の名前をつけるのに1ヶ月近くかかってしまったわけですがそれは、
「罪悪感寄りの無力感」。
 
地震発生に個人的に直接の責任は(多分)ないと思います。
展示品の倒壊防止策を怠ったことは反省しますが「仕方なかった」とも思えます。
 
でも、罪悪感。もう少し根源的、個人的な部分で。
 
  事前に出来ることは無かったし、実際何も出来なかった。
 
  でも地震動を感じるたび、職業的懸案事項がついに来たか?
  と毎回最悪の想像と安堵を繰り返していた。
 
  しかし、実際の地震は予想や想像の隙を突いた感じで起こった。
    見える範囲のものがすべて揺れ動く風景を見た後では
  以前と同じ様に物事を見ることが出来ない。
  つまり私達の世界は変わってしまった。
 
  理不尽に無理矢理に後戻りは出来ない場所まで運ばれてしまった。
  
その迂闊さに対する罪悪感、なのでしょうか。
 
 
 
幸い怪我をした社員もおらず、墓地での倒壊被害は灯篭等限定的でした。
 
現在順次対応しているところです。