意識した時というか

悲しいと思った瞬間があります
中学校時代にQUEENのファンクラブ会誌が送られてきて
それを友人と読んでる時に

“水っぱな”が会報に一滴落ちてしまい
慌てて鼻を拭いたという情けなさ…(-_-;)


あの時は

ホント真剣にアレルギー性鼻炎を呪いました


そんな情けないことのあった年の文化祭で
我がクラスは

“合掌造り”のある風景を

卵の殻を利用してモザイクで表現したんです
(以前も記述したと思われ)

最初はみな頑張って

卵の殻一つずつに色を付けてから

(中の膜は綺麗に剥がず)

張り付けていたのですが

途中から、その作業に飽きてきて

殻を張り付けた上に

色を塗るという事をしたらですね

作品というのは正直なもので

やはり画面から

“やっつけ仕事”感が出てしまうものなんです

 

みな

「やはり、これではいかんわ…」

と話し合い

再び殻に色を付けてから、張り付けていきました

製作時間は数か月の大作でいた
 

達成感もあり

私は凄く楽しく嬉しく思っていました
 

でも“見えない努力”は伝わらず

文化祭の時は殆どの人が“チラ見”するだけで

その作品の前に足を止めてゆっくりと

鑑賞してくれる人はいませんでした


そして後日、現国の先生に
「あれは絵葉書を模写しただけだから伝わらないんだよ」
なんて酷評もされ


【人は過程を評価するものではなく“結果”で評価するんだな】
と深く思った次第です


でも

私の中には今でも

毎日家から出た卵の殻を持参して

放課後、教室の床にへばり付く様にして

色を塗り張り付けた時間が蘇ります

 

そして美術作品の評価基準を思うのでした

(美術恩師に話すと受ける話題です)

 

その作品に似た画像を探したのですが見つからず

白川郷合掌作りを左方向から撮影された“夏”の風景だったんです

 

何時訪れても“合掌作り”のある風景は素敵です(*'▽')