今回
里帰りしていて

私が実家に置いている荷物をみていたら、
幼稚園の時のお誕生日カードがでてきたのね。


「おてつだいできる、すご〜い 手」と手型のそばに書いてあって

先生からのコメントでも

おしゃべりが大好きで
お歌が大好き

と書いてあったの。

私、ハスキーボイスで、小さい頃は、今よりもっとハスキーで、声の音量も大きいし
「うるさい」とか「声でかい」とか言われることも多くて

実際、うるさがられていたと思うし、気にしているようで気にせず、繰り返していたと思う。
詳しくいうと「言われていることには傷ついて」だけど、
そうしかできない自分がいて、直したり変えるなんてことできなかったんだと、思います。
自分の、存在と絡めていると、とても勇気のいることですから。

あとから、周りの人の気持ちまでわかるようになった時、「うるさく思わせてしまった自分」とか
「他人を煩わせてしまってきた自分」とか
「全然変われなかった自分」とか
変えようとしても変えられないと感じること
とか
に恥ずかしさを覚えて
こんなんじゃダメダメって。
ダメ出ししても変わらない自分の片鱗にもっとバツつけて
寄り添ったり理解したりもできないできた。

うるさがせているのは自分、と、まずは気付かないと次に行けないから、大切なステップではあったんだけど。
寄り添いが足りてない
はじめから寄り添い一本でいくと、変われない。

いいところもたくさんあるし、かわいかったなって。
そして、先生に可愛がってもらったんだなぁ〜って、
思ったの。


うるさくてお喋りで声がでかくても、
かわいいもんじゃないですか。
存在がダメでもないし、うるせっ
って思っても嫌いではなく好きだったりする。


それからね、

これからも、たくさん「しってるぅ」こと増やしてね

って書いてあって

この「知ってるぅ」とすぐ言う私には
私自身、ほとほと困らせられていてね。

そもそも「わかった」と「知ってる」の違いを混同していて(どちらも頭の中に有るって言う意味だともらえていた)

しったかぶって困ったり、兄弟に注意されたり
もうこっちが恥ずかしい!って。
問題の本質は、それじゃなくて、
話を聞こうとしないことだったりして。

「知ってるぅ」について感情がついてまわって

知らないといえなかったり
逆に知っているのに知らないふりをしたり

結構、私の人生の中で乱気流を生んできた。



お誕生日カードと共に、学生時代にやっていた記録もろもろがでてきたんですけど
本当に元気で、1秒たりとも無駄にしない気合いで

私何がしたかったのかなーと思っていたり
して
そうかー、
私「知ってるぅ」こと増やしたかったのかー

ってね。


知識も物もつかわないものは、いらないんだ、けど、ね。

まあそれはそれで、引き出しになってるって思う。
知識はそんなに邪魔じゃないし


そして
将来の夢は
お母さん


私、お母さんになりたかったんだなぁ。
自分のお母さんも大好きで、あこがれて
そして、私、お母さんになりたかったんだ

って。



今、母として、子どもたちといて、
悩んだり困ったり、イライラしたりすることもあって
もちろん、笑いも喜びも発見もあって。

その中で、母業とは、と考えることも多く
人の育ちとは、そだてるとは
悩み考え日々進んでいく中で

母であることが「すべて」ではないし
自分を大事にしながら、欲望をみたしながら
ではあるけれど

学生時代に打ち込んできた部活のような
学業やイベント、アルバイトのような

人生でもあり、生活でもあり
青春のような

そんな感覚もしています。


夢ナウじゃないですか。
私。


夢ナウなんです。
おめでとう、ありがとう。