残せるのは、生きざまだけ -29ページ目

喜んで、生きる。

丸山敏雄のすごいことは、全てのことに喜んで生きる、喜んで働くことが、幸せになる法則だと言っている。


ニーチェの言う超人は、これに近い。と西研さんの講義で初めて知った。


今ある状況、生まれてこのかた、あった、様々な事柄、障害があるとか、貧乏だとか、容姿が悪いとかもろもろ、


それらを、受け入れる。これで良かった。これが良かった。と、積極的に受け入れることから、始まる。


と言うのだ。


もう一度、この同じ人生を送るとしたら、どうするか?と問われたときに、


喜んで、もう一度この人生を生きたい。と思える生き方が、超人だと解釈した。


丸山敏雄は、当然、ニーチェの哲学も学んで来たのだろう。


先日、小平のモーニングセミナーで話された水澤心吾さんの話にも、


「人は、自分の力では限界がある。


無限お力を発揮するためには、宇宙の意志に従うことだ。


その為には、心の底からわき上がるワクワクする思いで楽しんで行うこと。」


と、おっしゃられていた。


共通することは、一緒だ。


積極的に、能動的に、ワクワクしながら、取り組むこと。


素晴らしい。



西研(にしけん)さん!

偶然に見たテレビで出会った。


すごい。


笑顔がすごい。


話がすごい解りやすい。


またまた、すごい人に出会ってしまった。


ニーチェの「ツァラツーストラは、かく語りき」の解説だったが、


目からウロコ、えー?こんな話だったの!


すんごい、よく分かるわ!


西さん、あんたは、何者なの???


視点が良いんだね!


第3回、第4回の録画準備完了しました!!!



100分 de 名著  ニーチェ ← 興味のある方はどうぞ!

小気味よく生きる。

毎日のブログの更新


毎日のランニング


毎日の仕事


コツコツと、はつらつと、小気味よく、


続けられる人生。


あたりまえのことを、あたりまえに


なんなく、軽く、こなし続ける人生


を送りたい…。











魂の仕事

BS世界のドキュメンタリー・シリーズ・カンボジア・虐殺の記憶

「“民衆の敵”に迫る~カンボジア人記者の記録」

~カンボジア人記者が虐殺の真実を追求~

チャンネル: 101(48)ch : NHK BS1  放送日時: 4月13日(水) 24:00-24:50


を見た。

家族を、クメールルージュによって失った男の、加害者への執念のインタビュー番組だ。


テット・サンバットさんの取材は、魂の仕事だと思う。

仇に対し、真摯に真摯に、迫って行く。

歴史の真実を引き出すためという目的のために。

これで終わりだと言うが、これで終われるのだろうか…?



新聞記者のテット・サンバットさんは、当時小さな子どもだった。(たぶん5-6歳)

父は農民だった、クメールルージュの集会に参加し、

「なぜ、個人の財産を全て政府に差し出さなければならないんだ?」

と質問した。

クメールルージュの兵士に畑に連れて行かれ、兵士に囲まれ、ナイフでめった刺しにされた。

長い時間苦しんで、死んだ。その様子を、木の陰から兄が見ていた。

その兄は、その後、クメールルージュで働いていたが、連行され「粛正」された。

母は、クメールルージュの兵士との結婚を「断れば皆殺し」と、強要された。

その母は、子どもを出産するとき、出血が止まらず、亡くなった。

亡くなる前に、ベッドサイドに呼ばれ、兄弟助け合って生きるように言ったそうだ。


テットは、新聞記者のかたわら、週末毎にヌオン・チア(元ポル・ポト派のNo.2)に会いに行き

虐殺の真相を聞き出そうとしていた。取材は2000年頃から始まり、特別法廷に連行されるまで

2007年まで続いた。


何年も黙りを決めていたヌオン・チアは、それでも、数年経つ頃から、少しづつ過去のことを語りはじめ、

ついには、反対派を殺傷することに指示を出したことを、彼のカメラの前で語ることになる。

連行されてしまったことで、テットさんの取材はピリオドを打った。

それから、彼は国境近くに農地を買い、

「これまで、子どもたちに寂しい思いをさせてきたので、これからは家族で脳炎を楽しむ。」と、

畑の一本道を歩き去って、ドキュメンタリーは終わった。


だがしかし、その後の法廷での裁きはまだ出ていない。

カンボジアの大量虐殺は、170万人とも200万人とも言われている。

なぜ、こんなにも長い間放置されたままにされてきたのであろう?

なぜ、そんなにも多くの人々を殺さなければならなかったのか?

どのようにして、そんなにも多くの人を殺戮したのか?

その真相は、明らかにされていないと言う。


テット・サンバットさんの取材は、魂の仕事だと思う。

仇に対し、真摯に真摯に、迫って行く。

歴史の真実を引き出すためという目的のために。

これで終わりだと言うが、これで終われるのだろうか…?


ポルポト派が政権を握っていた1975年~79年と言えば、

私は、中学から高校生の時期だった。

しかし、今の今まで、この時代のこととして、捉えたことがなかったのはなぜだろう?

ベトナム戦争も1960年~1975年の出来事だ。

私自身の歴史と全く、一致しているというのに、

一体どういう事だ?


浅間山荘事件や、はらはら時計の時限爆弾事件などは、とても鮮明に覚えているというのに、

ベトナム戦争や、カンボジアの出来事は同時代の出来事としての意識がない。

もっと過去の事件と捉えていたのはなぜ??


父が新聞記者だったことから、少なくとも、情報は多かったに違いない。

なのに??

私の少年青年時代は、社会の窓は開かれていなかったのかも知れない。

今更ながら、そう実感せざるをえない。








ハセツネ30 やけくそ 試走 その後…

試走から、3日経った今日、未だ足が痛いよー

太股の筋肉痛は、格別で階段は、下りが最高に気持ちいいサー

平地を歩いていても、油断すると、後ろにがくんとたおれそうだね


マラソンを走った後の様な、イヤ、それ以上の筋肉痛だね

週末には、再度、山に行きたいよ

毎週走ればなれてくるだろうね