「所有物」と自分2 | 残せるのは、生きざまだけ

「所有物」と自分2

所有物は、その人の人生の言い訳ではないか?


家の中、職場の机やキャビネットの中


自分の中に囲い込むことで、


自分の過去の言い訳の材料ではないか?


どんなに小さなモノでも、ここに来た意味、ここに存在し続ける意味がある。


このティッシュは、先週、立川でもらったモノ。


そして、まだ、使っていないから、この引き出しに入れておこう。


この本は、高校生の時に読んで、感動したモノ。


今は、使っていないが、自分の歴史だから取っておこう。


など、


そうだ、所有物には、


「これから使うであろうモノ

 (ティッシュ・入手してから使っていないバッグ・PCなど・トランペット)


「いつもは使わないが、たまに使うモノ」

(三脚・脚立・自己啓発CD・工具・植木鉢・プランター・いくつかの本・辞書・花瓶・墨・


「過去には使ったが、今は使っていないモノ」

(多くの本・衣類・音楽のテープ・過去の手帳・過去の日記・年賀状の束・大学時代に作った植物標本・大量の絵本)


「今まさに使っているモノ」

(机・PC・携帯電話・スケジュール帳・一部の本・一部の書類・ランニングシューズ・ランニングウエア・スーツ・Yシャツ・自転車・自動車・台所のいろんなもの・)


「今から過去になりつつあるモノ」

(ギター・スキー板・キャンプ用品・テニスのラケット・パラグライダー・一部の書類)


とに分かれるねえ…。


全て、自分の人生を証明するための道具…。だとすれば、不要かもしれない。


権威付け、厚みを見せる虚仮威し、だとすれば、いらない。


生きて行く自分の胎盤のようなモノ。


ぬくもりのある、心地よい空間のアイテム。


こういう考え方もあるねえ…つづく。