自分の死をイメージしたことがありますか? | 残せるのは、生きざまだけ

自分の死をイメージしたことがありますか?

今日も、良い日です。ありがとうございます。


あなたは、ご自分の死をイメージしたことがありますか?

畳の部屋に敷かれた布団に寝かされ、回りを妻、子どもたち、その連れ合い、孫たち、大切な友人いろんな人に囲まれて、一人一人に礼を言って、眠る様になくなる…。


春の日、さくらの咲くベンチに腰掛け、横には妻が座り、いろいろと、これまでに事を思い出して笑い話をして、「そんなこともあったわねえ」などと言っている隣で、「ありがとうね…」と言って眠る様に逝く…。


山道から足を踏み外し、300m滑落し、誰にも看取られず、しかし、真っ赤に燃える紅葉と真っ青な秋空の中、心の中に、大切な人たちを思い出しながら、のどの渇きを感じながら、天に召される。





 昨日、先輩が亡くなった。


40代半ば、「仕事は、楽しくやらなきゃ!」と東北なまりで笑っていた、かっぷくの良い人だった。

がん闘病、1年で逝った。80キロあった体重は3月には40キロを切っていた。

それでも、いろんな治療法にチャレンジしていた。

「絶対に治す。」という強い決意を持っていた。

「この状態で信じられない。」と医者に言わせる気力が有ったという。

独身の彼の看病はご両親だった。

お母さんの話によると、携帯で友人にメールを打ちながら、眠る様に死んでいったそうです。

 ずっと、治して現役復帰することを信じて。


今年元旦に、友人が亡くなった。

一昨年の大晦日にガンが判明した。

3人の子どもの母親だった彼女は、「絶対に治す」と、すさまじい気力を発揮した。

昨年12月上旬、検査結果を見たドクターは「これで生きているのが軌跡だ」と言った。

夫は、(苦しいだろうに、もう、そんなには頑張らなくて良いよ。)と思うほどの気力であったという。

でも、その気持ちは伝えられなかった。

大晦日の夜は、子どもたちに挨拶をして、そして、元旦の朝に、彼女は眠る様に逝った。

39歳だった。


2人に共通なことは、「絶対治す。」という気迫だ。

だから、死のことを考えていない。だから、遺言もお別れも無しだ。


自分のイメージした死に方を、選ぶことが出来たはずなのに。

せっかく病院で家族に囲まれて、最後まで意識があり、頭脳は正常に機能しているのに、

大切な大切な両親、夫、子どもたちに最後の言葉を残せずに、そして、想いを綴って残すこともなく旅だった。


生きる姿勢は完全燃焼だったと、尊敬する。しかし、ほんとうに、これで良かったのか…。

死を認めることと、死ぬこと、病気に負けることとは別のことだ。

しかし…、

病気と闘っている人は、死の恐怖から逃げる。

死を考えない事を選択する。

故に、死を見つめることが出来なくなる。


健康な者は、明日自分が死ぬとは考えていない。

故に、死を見つめることが出来ない。

交通事故で亡くなった人も、秋葉原で刺されて亡くなった人も

まさか自分が死ぬなんて、考えていなかっただろう。


どちらにしても、多くの人が死を見つめない。が故に、

大切な人に大切な想いを残すことが出来ないのかもしれない。


あなたは、ご自分の死をイメージしたことがありますか?

自分の死をイメージしたとき、

死と向かい合ったときに、

生きざまが変わってくるのかもしれません。