前の記事で「身体はあなたの望むとおりになる」という話を書きました
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なぜそういうことが起こっちゃうかというと、
望みを明確にせずに、受け身で過ごしているから
親を見ていると、すごく実感するんです
最近のわたしは全くテレビを見ないのだけれど、こないだ、ひさびさに親が見てるテレビを一緒に見たら「CM偏ってるなあ」って思ったの
ウィッグにお葬式に株式投資!(投資は若い人もやる?)
おいおいおい
歳をとっても髪フサフサでいいし、葬式とか大きなお世話だし、株式投資なんて博打をむやみやたらに勧めるなー!
って思っちゃう。もちろん、すべてはわたしの主観だし、逆に「ありがたい」と思ってる人もいるかもしれないけどね
でも、あまりにCMとかニュースが多すぎて、本人の望まない思い込みが増えてることってあると思うよ。それが一番こわい
たとえば「高齢者の最期は必ず施設に入る」とか「足腰が弱って必ず車いすになる」とか
いや、なんなくていいから!
施設も車いすもとてもありがたい存在だけれど、それを大前提にしなくていいよね? 一生利用しない可能性も十分あるよね
親と雑談していたら、当然のように身体にガタがきたり、施設に入るかのように言っていて「待て待てーい!」となる 笑
うちの親、年齢聞いたら驚く人が多いくらい、若々しいし元気なんだよ。なぜ「このままがいい!」って思わないのだ
「なくなる直前まで元気で生きて、ピンピンコロリがよくない? なんで車いすとか施設前提なの?」というと、「そういう考えもあるのかあ」と少しは考え直したようだけど、わたしがいなかったら流されてる、絶対💦笑
結局、その事実の真偽とは無関係に、広告として世間に流れ続けると、ボーっとしている人なら「〇歳になったら身体が不自由になってきて、〇歳になったら最後は施設で過ごすんだな、わたし」っていう無意識が勝手に埋め込まれる
だから「自分がどうしたいのか」「何に対して嫌な気持ちを抱くのか」ということを常に意識してなきゃいけないのだ
エイブラハムというとすぐ「現実創造」とか「願望実現」とかいうけれど、そんな大きな話じゃない。地味な現実から自分を見つめることこそ大事
わたしの例をあげてみる↓
友達としゃべっていると、まだ全然若いのに「体力の衰えが…」とか普通に出てくる。でもわたしはいつも同意してない(口には出さないけど)。ヤダもんね
若い頃みたいに全力で運動していないから、その力を失っているだけで、本人ができると思えば、いつでもかつての体力を取り戻せる
「シワが気になる。老いだよねー」とか冗談であっても認めない。姿勢の問題や食事といった物理的なことと、普段の悩みとかからできているだけなのだから、原因をつぶせばいつでも戻れる
わたしは3人以上になるといつでも少数派だから(笑)自分の意見を言っても「ハイハイ(またいってるよ、この人は)」と真に受けてくれる人はほぼゼロ
だから学習しました。本音は胸にしまっておいて「みなさんはそうなんですね。わたしは違うけどね」と思いながら聞くことにしています
少なくとも、ハナから諦めている人は絶対変わらない
けど、0.1%でも「もしかして違うかも?」って思えたら、そこから無限の可能性がある
うちの親はHAPPY理論なんて聞く耳もたないタイプなので、わたしが3次元寄りに変換して、ことあるごとに「でも〇〇じゃん?」と吹き込んでいる 笑。本人は気づいてないだろうけど、だいぶいい感じに生き方が変わったと思うんだよね
でも前の記事でも書いたHAPPYちゃんの話を聞いたら、まだまだだね。「自分の身体で一生元気なまま過ごす」どころか「今の見た目のまま、今の感じで過ごす」っていうんだもん
わたしもそっちにいこう!