椿の山の森の中
椿山荘の前を目白方面に歩くと
椿山荘沿いに下る名坂があります。
目白通りから神田上水取水口へ向かって下る坂。
坂の東西には松雄芭蕉が住んだと言われている関口芭蕉園と
神田川の氾濫を鎮める水神社。
坂上部には室町時代の足利氏ゆかりの貴重な歴史文献が保存されている
青崖文庫などがあります、
本日2回目の胸突坂です。

芭蕉園の竹林と水神社の大銀杏が坂を包み込み
優しい緑の影を落としています。


江戸時代は肥後熊本藩細川家と三河小島藩滝脇家の間を下る坂で
胸突坂の名に恥じぬ、急勾配。

坂を下って下道に出た時に女の人が坂を上って行きました。
透明感のある青白い感じの
決して人と眼を合わさない小さな女の人。
顔を見た瞬間に何か変な感覚があって
その空間だけ温度が一気に下がった様な。
3枚前の下から坂を撮った写真の右端に
坂を上っていく女の人が写っています。
黒いパンツにグレーのパーカー。
女の人が来た方向に
胸突坂と平行に上る坂があります。

名前は幽霊坂。
都会なのに人けのない静けさに包まれた坂です。
昼間でも暗いであろう木々に囲まれた静寂。
江戸ではこういう暗い坂道、周りが墓地とか
そういう坂道にこの名前よく付けます。
江戸だけでも幽霊坂が大量にあります。
ここは墓地はないけど、雰囲気でこの名前が付いたんでしょうね。

さっきに女の人の事を引きずってたので
何だか不気味で気持ち悪くて一気に駆け上がっちゃった。
背中がゾクゾクしてホント不気味でした。
一気に駆け上がったので坂の上のある公園で一休みです。
公園の隣りにはこのお宅。

さすがです。
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反対側もスゴかった
音羽通りは台地と台地に挟まれた深い谷地にある通りです。
両サイどの台地とはかなりの高低差があり
入り組んだ山の手の醍醐味を味わえる
江戸から変わらぬ護国寺の門前町です。
小日向台を下って音羽通りを越えます。
未だ鼠坂の興奮から立ち直れずに反対側の関口台から続く目白台へ。
昔は椿山と呼ばれ、椿の名所だったそうです。

関口台に登る古い坂・鉄砲坂

坂の北側に大筒の的場がありました。
現在の日本女子大の寮の辺り。
台地の高低差を利用し、高台に向かって鉄砲を撃っていたのが名前の由来。



上から見ると谷に下り始める感じにワクワクするね。
鉄砲坂の南側に幅の広い急傾斜の鳥尾坂があります。


この坂を開設したのが元長州藩士・鳥尾小弥太。
戊辰戦争に従軍し、のちの陸軍中将、近衛都督、貴族院議員、枢密顧問官を歴任。
明治になってこの関口町に住んでいました。
それまであった鉄砲坂が狭くて急すぎるので
人力車や自動車の通行に不便を感じていました。
そこで私財を投じ、開設したのがこの坂です。
地元の人はこれに大変感謝し、鳥尾坂と呼ぶようになったと言うことです。
鉄砲坂、鳥尾坂と並んで住宅地を縫う様に作られている
近代的で重厚感があり
それでいて湾曲と勾配の美しい階段坂があります。

音羽町七丁目に出る坂なので七丁目坂。

比較的新しい坂だけど、いい坂だね。
傾斜が急で湾曲が美しく緑と石垣が趣き深く、かつ細くて車が通れない人の道。
オレはそういう坂が好きみたい。

坂上部で鳥尾坂と合流します。
この辺も高級住宅地ですな。
住みたいねーいい坂がある街に。
坂上を目白通りへ抜けると見えてくるのが椿山のシンボル
「椿山荘」です。
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衝撃衝撃、もう衝撃!
茗荷谷駅を越えるとそこはまさに谷。
茗荷がよくとれた谷。茗荷谷。
それだけ手付かずの山で日陰で最強の茗荷地帯だったって事。
ウチの周りの山でもよく取れます茗荷。
家の裏の日陰とかに楽勝で自生してます。
茗荷谷を下って拓殖大学付近で登りにかかると
そこは小日向台の山の上。
大小長短様々な坂道が入り組むまさに高低差天国。

味のある石段がたくさんあります。
そこに登場しました。
衝撃です。
衝撃の坂道です。

勾配、湾曲、景観。どれをとっても一級の坂道。
そして距離が長い。ロング!
上にある電線もありえない角度で落下中。

鼠坂の名の由来について「御府内備考」では
「鼠坂は音羽五丁目より新屋敷へのぼる坂なり、
至てほそき坂なれば鼠穴などといふ地名の類にてかくいふなるべし」とあります。
森鴎外は
「小日向から音羽に降りる鼠坂と云う坂がある。
鼠でなくては上がり降りが出来ないと云う意味で附けた名ださうだ・・・
人力車に乗って降りられないのは勿論、空車にして挽かせて降りることも出来ない。
車を降りて徒歩で降りることさへ、雨上がりなんぞにはむづかしい・・・」
と小説「鼠坂」でこの坂を描写しています。

昔の人は鼠しか通れない程細い坂道を鼠坂と呼んだそうです。
この坂の他にも都内にはいくつかの鼠坂があります。

もう興奮で興奮で、小躍りしながら歩いてます。
暗闇と雑踏の孤独感、街頭と月明かり。
最高の空間。


江戸時代、鼠坂の南側には幕府御賄組屋敷が広がっていました。
将軍家に献上する魚や野菜を仕入れる人達ね。
食材を持って坂を上へ下へと登り下りしてた様子が眼に浮かびます。

御賄組屋敷の更に南側は久世山。
我が下総関宿藩・久世大和守御抱屋敷がありました。
千葉県の北西部・千葉県野田市関宿、一番尖がった先端。
利根川と江戸川が分岐するところね。
ウチは利根川渡った反対の茨城側だけど
江戸時代はバリバリ関宿藩でした。
今は閑静な高級住宅地なので住めないけど
こんな最高の台地に屋敷があって
久世の殿様なかなかイイ趣味してる。
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こんにゃくとみょうがのお話
右京山を下りて白山通りを渡ると見えてくるのが
こんにゃく閻魔で有名な源覚寺。
昔、眼を患ったおばあさんが21日間お参りしたところ
最後の21日目で全快したことから、おばあさんは好物であった
こんにゃくをお供えしたそうです。
それを伝え聞いた眼病の人々が多く参詣するようになり、
門前は大いに賑わったと言われています。
こんにゃく閻魔を白山方面へ進み
路地を曲がった先にあるのが六角坂です。

江戸時代、坂上の西側に高家・六角家があったそうです。
現代も何だか大きな屋敷がありました。
六角セレブです。

坂上から素敵な路地を下りると坂下の道に出ます。

六角坂の隣にも坂があります。
情緒豊かな善光寺の横を緩やかに登る善光寺坂です。


善光寺の先に沢蔵司(たくぞうす)稲荷があります。
この沢蔵司と言う人この先にある小石川伝通院に修行に来たんですが
たった3年で浄土宗の奥義を極めてしまいました。
後の学寮長極山和尚の夢枕に立ち、
「我こそは千代田城の稲荷大明神である。世話になったので当山の守護神となろう」
と告げたと言います。
善光寺坂上に椋の大木があり、その木にこの沢蔵司の霊が宿ると言われており
マンション建設の為にこの木を少し切ったところ
現場の事故で亡くなった人がいた、と言う話もあります。
善光寺を登りきると見えてくるのが先記した小石川伝通院です。

以前にも訪れた事があります。ブログにも書きました。
こんな立派な山門はなかったけどね。
新撰組の前身ある浪士組が集められた場所で、
浪士組肝煎りの清川八郎のお墓もあります。
家康の生母、お大の方を始め歴代の将軍正室の菩提もあります。
いづれも威風堂々たる姿が圧巻です。
伝通院から真っ直ぐに伸びる安藤坂を下り
途中の路地を入ると金剛寺坂に出ます。


坂名は坂下にあった金剛寺に由来

寺は中野区に移転しましたが名前はここに残っていて
現在は丸の内線の線路が敷地内を通っています。
金剛寺のあった谷は鶯谷と呼ばれていました。

この高台の崖地は鶯の名所だったそうです。
鶯の音色が他所よりも一段と優れていたと言われています。
坂の東側に金杉稲荷がありました。
幕末、この地に住んだのが福沢諭吉でした。
ここに住んだ理由は水道町に住んでいた幕府外国方の通詞
森山多吉郎に英語を習う為でした。
ある日、攘夷派の刺客に襲われて命を奪われそうになります。
その時、金剛寺に飛び降り大楠の影に身を潜めて助かったという話があります。
もしもこの時斬られていたら
慶応大学も慶応ボーイも存在しなかったし
一万円札も別の誰かになっていた事でしょう。

金剛寺坂を上り春日通りを大塚方面へ
春日通りを渡り、しばらく歩くと
江戸時代小石川鷹匠町と呼ばれたところに出ます。
幕末の直参で高橋伊勢守と言われた人がいて
槍の使い手で従五位の槍と呼ばれていました。
鳥羽伏見から逃げ帰り、上野に謹慎した先の将軍・徳川慶喜に
この高橋伊勢守が仕えており、何とか新政府軍に二心なき旨を伝えようと
高橋の実弟である山岡鉄太郎、後の山岡鉄舟にその使者の役を与えます。
この高橋、山岡兄弟が隣同士で住んでいたのがこの鷹匠町でした。

この先に趣き深い湯立坂があります。

緑と石垣が美しい、非常に綺麗な坂道です。
何とも風流な名前ですがこの先にある簸川神社が関係しています。
昔は簸川神社と高台の間に千川と言う川が流れていて
詣でるのが困難だったそうです。
そこで参拝者が川の手前で神社に献じる湯の花を立てたそうです。

坂脇は徳川光圀の弟・松平頼元の上屋敷。
現在は占春園という公園になっていて、見事な古木が生い茂り
ホトトギスの名所だったと言うお屋敷の威容を偲ばせます。

この坂に向かって両サイドからもいい石段や坂もあり
小石川界隈は品がよくて緑深い「歩きたくなる坂」の宝庫です。


坂上には茗荷谷の駅があります。
こんにゃくからみょうがまで来ました。
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本拠地の本気
鐙坂から菊坂を挟んだ反対側にもたくさんの良坂があります。

菊坂が深い渓谷なのが良く分かります。
菊坂下部から上るのが胸突坂です。

胸が地面に突き合う程、急な勾配な坂道をこう呼ぶ事が多く
江戸には数々の胸突坂があります。

距離が短いのでより勾配が強調されています。
上から見ると急なのが良く分かりますね。
胸突坂を上り鳳明館という旅館を右折すると
梨木坂の坂上に出ます。


「梨木坂は菊坂より丸山通りなり。むかし大木の梨ありし故坂の名とす」
と、「御府内備考」にあります。
また、一帯の菊畑がこの辺りからなくなっていた事から
「菊なし坂」とも呼ばれていたそうです。

梨木坂を下りると菊坂に戻ります。
菊坂を登り途中の路地を入ると
江戸時代は江戸一の急坂と呼ばれた炭団坂があります。


現在は綺麗な階段坂ですが、昔は当然舗装なんてない土の道です。
階段坂は階段にしなきゃヤバイくらい急勾配という事なので
北側を菊坂に下るこの坂は、雨が降るとよく滑る坂だったそうです。
ここで転ぶと炭団のように真っ黒になる、って事みたい。

炭団坂上の台地の際、崖の上を歩いて行くと
先程の鐙坂の上に出ます。

鐙坂下から崖を見上げるとこんな大崖になっています。
本郷台地の鋭さを味わうには絶好の菊坂渓谷。
この崖の上は江戸時代上野高崎藩、松平家大河内右京亮の屋敷があり
維新後は原っぱとなって右京山と呼ばれていました。
樋口一葉も妹と虫の音を聞きに来たことや
九段の花火を母親と見たことを日記に残しています。
現在は建物がある為見えませんが、昔はかなり遠くまで見渡せたそうです。

人工的な展望台のない、
古き良き時代の人々の癒しの眺望だった事でしょう。
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坂の本拠地・文京区
久々の坂道歩きです。
今日は本郷台地から目白台方面へ歩いてみようと思っています。
日本坂道学会副会長、森田一義氏も絶賛の坂がたくさんある文京区です。
水道橋駅から丸の内線後楽園駅方面へ歩くと
線路沿いを登る旧東富坂があります。

白山通りは深い谷地にある通りなので
地下鉄丸の内線の駅が地上2階にあります。
明治になり路面電車が走るようになると
急なこの旧東富坂を電車が下りる事が出来なかった為
坂上部から現在の文京区役所方面に斜めに下りる道路が作られました。
それが現在の東富坂です。
本郷台地から下る有名な菊坂と言う坂があります。
昔は台地から川が流れていたようで菊坂一帯は渓谷の様な形状をなしています。

江戸の古地図でも坂道がたくさんあるのが分かります。
菊坂周辺は江戸時代、下級武士がたくさん住む一帯の菊畑でした。
小遣い稼ぎに菊の栽培をしていたそうです。
界隈にたくさんの菊人形が飾られていたんでしょう。
東富坂上から小道を入ると菊坂渓谷に下る鐙坂(あぶみざか)があります。


台地にまたがる様が馬の鞍の鐙に似ているのという説と
鐙を作る職人が多く住んだという説があります。


車が通れない人の道ってのが最高。
周辺の古い家並みと崖に絡みついたツタが情緒満点です。
傾斜、湾曲、周囲の風情
どれをとっても申し分のない良坂です。

坂下にはタイムスリップしてきたかの様な
どこか懐かしい家並みが広がっています。

世界遺産級の銭湯です。
この辺は昔から文豪が住んだ街としても知られています。
宮沢賢治や石川啄木、樋口一葉ゆかりの質屋の蔵も保存されています。

鐙坂の途中から下る細い路地もたくさんあります。
入らずにはいられなくなって入って行くと
樋口一葉が使った井戸も現存しています。
驚いた事に今でも使用されているそうです。
数々の文豪に愛されたこの街
たくさんの名作が坂を上って世に出て行きました。
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スポーツ観戦の街
前日の夜
薄れ行く意識の中で聞こえてきたテレビの声
「バリーボーワールドグランプリー2013ファイナルラウーンドゥ
in サッポーロー!!」
ん?
サッポーロー?
札幌?
バリーボー in 札幌?
全く見てなかったから知らんかった。
札幌に来てるんだ。
ローソンでチケット販売中だってよ
近くにローソンあるんかな?
調べた結果
ホテルの真裏がローソン!
もう行くしかないでしょうよ。
当日取ったとは思えない程いい席。
あのイタリアに3-0ストレート勝ちだよー
日本も世代交代だけどイタリアもなのね。
しかし札幌まで来てスポーツばっか見てるな。
まあいいか。
気持ちよく勝ったので最後の夜はすすきのです。
キャッチ集団から逃れ逃れ
探しに探してようやく見つけたラスト北海道グルメ
本場は帯広みたいなので
札幌にはあんまないのね。
豚丼美味い。
上にかかってるコショウがいいね。
でもこれ
楽勝で作れそう。
グッバイ北海道
グッバイ一人旅
帰りのCAさん超タイプでした。
エアアジア最高。
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NO PLAN 2日目
12時間寝ました。
いやースッキリ!気分爽快!札幌!!
さて、どうすっぺ。
何も予定がないぞ。
そもそも2日目は函館に行こうと思ってたんだけどね
札幌と函館
めっっっちゃ遠いの!
知ってた?
電車で片道3,4時間かかんだぞ。
東京ー大阪より遠いがな。
しかも昨日の雨でどうなってっか分かんねえし!
往復で¥13000もかかるしね!やめよう。
んでどうすっかの2日目。
少し悩んだ結果
ベタベタのTHE札幌グルメの旅に決定。
まずは東豊線駅近くのスープカレーの店。
スープカレー大好き。
こういうシャバシャバカレー大好き。
有名店らしく並んでました。またもや。
店の名前は何とか商店だったと思う。
美味かった。
やっと美味いもんに当たったね。
グルメの旅は結構忙しい事がここで発覚。
急いで、今度は地下鉄南北線中の島駅下車徒歩15分
超歩く。
札幌って意外と交通の便悪いよね。
オレが行く所は、ね。
ここは来なくちゃねー
一回は来たかったんだよ、すみれ本店。
多数サインあり。
一番感動したサインは「ハナ肇」
おー。
ハイ次。
駅まで戻って、すすきのまで行って路面電車に乗って歩いてここまで来るのと
すみれから直で歩いちゃうのとさほど変わらなかったので
腹ごなしに歩いちゃいました。けっこうあったけど。
とんねるずのきたなトランにも出た事ある、由緒正しきお店。
名前は「福来軒 本店」
ちゃんと石田さんもいました。
すすきのから札幌市電に乗って静修学園前駅下車徒歩10分
分かるかな?
カウンターが向こう側に傾いちゃってるのよ。
だからスープが向こうにこぼれそうになってるって言うシステム。
でもここが一番美味かった気がします。
汚い店に名店ありです。
さてさて、夜はたまたまなあそこに行きます。
たまたまです。
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たいぶ根付いた
5ヶ月ぶりの全店制覇を果たしたとは言えここは北海道。
事の重大さを今更理解。
「そうだ!味噌ラーメンを食わねば!!」
ベストオブ北海道グルメにとうとう気付いてしまったオレ。
つーか、少し前からバレてたぞ。
リサーチの結果、
札幌から地下鉄東豊線美園駅下車徒歩5分
名前は未だに知らん。
「彩未」って店だと思ったけど読む気が全くないのです。
札幌で地下に入った時は晴れてたのに目的地に着いて
地上に出たらハンパねえ嵐よ嵐。
ライサマすんげえ鳴ってたし落ちてた。
北海道各地でもスゴかったみたいで
苫小牧とか停電しちゃって空港までの電車も止まっちゃったみたい。
ほんとフェリーで来なくてヨカッタ。
地下鉄出口で30分待機です。
嵐のお陰で行列少なかったみたい。出てきたらすんげえ並んでた。
北海道の人は並ばないって昔聞いた事がある。
ラーメン屋が多いから混んでたら他の店に行っちゃうからなんだとか。
その中でこの行列は相当なんじゃないかな。
まあまあ美味かったと思うけどよう分からん。
そもそも味噌ラーメン自体があまり好きではないのだった。
札幌駅に帰ったら何やら大騒ぎ。
トランク抱えた人が右往左往。
一体何が起きたのか分からん。
ああ!
空港行きの電車が止まったんだ。
だからバス乗り場を求めて観光客が血眼になってるのね。
飛行機の時間に遅れたら帰れないもんね。
あー今日じゃなくてヨカッタヨカッタ。
駅と二郎の中間地点のホテルにチェックインし
ついに着てやったぜ。
駅から超歩くよ。
遠いよ。
でかい!
東京ドームより相当でかい!!
札幌ドームちょうど1個分の大きさ。ぴったり。
な、なんと!!!!!
飲んじゃうか。
昨日の朝から36時間寝てないけど飲んじゃーか。
だって¥300だもんな。
外野の最前列で知らん日ハムの応援。ビール飲み飲み。
しかし根付いたね日ハム。札幌に。
新庄だろうね。すごいね。
やっぱどうしてもさ
日ハム<ビールだよね。
だってオレ巨人ファンだもーん。
もっと言えば
西武<日ハム<ビール<眠い
だよね。
チャンスで2併殺の3番がいるチームなんか勝てる訳がねえよね。
もう眠いし酔ってるし日ハムの弱さに少しイラついて来ちゃうよね。
まあ優勝してからと言うもの、ダル、小笠原、糸井、田中幸、田中賢等々
みんな出て行っちゃったもんなー栗山も大変だな。
でもあれは5位の野球だね。
さあ久々に寝よう。
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