きのう | あすっちの今語り

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時々趣味に走ることもありますが、思ったことをそのまま書いてます。ちょっとアメ限多いですがマイペースにやっていこうと思っています。

きのう読んで心を動かされた記事があります。


長野放送さんの記事ですね。
(記事、写真はお借りしてます)

水上特攻ノ元隊員の方の証言です。
写真のような爆雷を積んだボートで敵戦艦に近づき爆雷を投げ込んで逃げるのが任務だったそうです。
実際には敵艦に近づく前に見つけられ砲撃されほとんどが沈められたとか。
上手く爆雷を投げ込んでも、
敵艦隊から十分に離れる前に爆発して自らも木っ端微塵になり戦死してしまう。

この方は、敵艦に向かって行く時にボートのエンジンが壊れて、自決しようとした時にアメリカ兵に止められ命を失わずにすんだとか。
そして戦後に日本に帰国されましたが、
感動したのは、
戦後50年の時に自決を止めた元アメリカ兵と再会して、和やかに会食をしながらあの時に出会えて良かったと語り合ってたことなんです。

少し話は変わりますが、
日本の戦国時代。
関ヶ原合戦で東軍の松平忠吉と井伊直政は西軍の島津義弘と戦い鉄砲で負傷しました。

恐ろしく強い島津軍でしたが、
壊滅的な被害を受け関ヶ原から撤退しました。
島津義弘は無事に領地の鹿児島まで戻れましたが関ヶ原に勝った徳川家康は戦後、島津家を潰そうとします。
そこに待ったをかけたのが、
島津軍に手痛くやられた、
家康の四男忠吉とその姑の井伊直政でした。
戦って怪我を負わされたけど、
二人は島津義弘を憎むどころか、
あの人は素晴らしい武将だから島津家取り潰しは私らが許しません!と家康に直談判して島津家は領地安堵されました。
忠吉と直政は武将として義弘に友情を感じたらしいです。
なんで友情を感じたのかは今の時代の人間には理解できない感覚ですが、同じ武将として勝ち目がないのに正々堂々戦姿に惚れ惚れしたということみたいですね。

で、最初の話に戻りますが、
兵隊さん達は何も相手に憎しみを感じて戦ったわけではないということ。
捕虜になって知り合ったことで友情が生まれたこういう例もありますし、
戦争がなければ互いに一度も銃を向け合うことなく友達になれたかもしれないですね。
そういう出会いは多々あったのではと考えます。

結局は狂った軍部のわけのわからない野心に利用されて、人と人の絆を断ち切られ、多くの人達が命を断たれた。

戦争は絶対にしてはいけない。
本当にそれなんです。

戦争経験を語れる世代の方々もどんどん少くなっていってますが、
コロナ禍でそれが加速してるんじゃないでしょうか。
戦争とコロナは関係ないように思えるけれど、戦争を実際に経験して次の世代に伝える方々がコロナで急激に減るのは世界平和にとっても痛手ではないでしょうか?

どこの自治体とは言わないけど、
高齢者は感染したら危ないから外に出るなと言わんばかりの、
高齢者への外出自粛要請。
もはや無為無策としか言いようがないですね。

国のリーダーも正直、地方と関係各省に丸投げで必死に取り組んでる感が伝わってこないです。
不戦の誓いは当たり前のことで、
これからの未来、
平和な国際社会を作るためには、この未曾有のコロナ禍をなんとか収束させないといけないのに。
しっかりせえ!と言いたいですね。