身を切る改革の意味とは | 今井アツシオフィシャルブログボクラノミライPowered by Ameba

身を切る改革の意味とは

先日の大阪市会本会議で大阪維新の会が提案した、議員報酬削減案が否決されました。


それどころか、来年度から議員報酬をアップさせる案が自民・公明・民主・共産の賛成多数で可決されてしまいました。


さらには、議員定数削減案も否決。そして、政務活動費のインターネット公開も否決・・・。


やはり、「身を切る改革」は維新しかできないということなんだと思います。


なぜ、政治家自らが身を切らなければならないのか。
それは、改革を押し進める覚悟を示すためです。
例えば、公務員の給料をカットするにしても、市民の皆さんにご負担をお願いするにしても、政治家が身を切らずにやるのでは、納得感が違うと思います。


公務員や市民の皆さんに負担を押し付け、自らの懐は痛めない。そんな政治家を僕は信用することができません。


かといって、公務員や市民の皆さんに耳障りのいいことばかりをいって、改革を先送りにし、将来世代にツケを回し続けてきたこれまでの政治を僕は信用する事はできません。


身を切る改革をやらない理屈、将来世代にツケを回し続ける理屈。既存政党は様々な理屈をこねるでしょう。


でも、掘り下げていけば「保身」が根源にあることは明らかです。


公務員や市民にご負担をお願いすれば、「票」を減らすかもしれない。「選挙」に勝てないかもしれない。自らの給料を削減すればこれまで通りの生活はできなくなるかもしれない。議員定数を削減すれば、自分のポジションがなくなるかもしれない。


色んな理屈をこねても、根源的には「選挙」と「お金」のことばかり考えているのではないかと疑ってしまいます。

「選挙に通らなければ何もできない」と言われますが、「選挙に通る為に信念を失う」のであれば、意味が無いと僕は思います。

信念を失った政治家が増える事は社会にとって大きな損失です。

次の世代、そのまた次の世代。将来に渡って大阪が豊かになっていく為に今、やるべきことから逃げずに立ち向かわなければなりません。


今回の市議会には本当に残念でしかたがありません。
特に、来年度からの議員報酬アップは到底市民の理解は得られないし、既存政党では真の改革は実現できないということがよくわかりました。


言葉遊びや足の引っぱりはもう結構です。
覚悟を示してほしい。

あら探しや重箱の隅をつつくような指摘ももう結構です。
将来のビジョンを示してほしい。

やらない理屈をこね繰り回し、先送りにするのはもう結構です。
実行し、結果を出す政治をしてほしい。


多くの国民がそのように思っているのではないでしょうか。


僕はそう思います。