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国士とはなんぞや

僕の出身高校は東京の国士舘高校です。
滑り止めで受けたのですが、公立の入試の時に病気に罹り、公立入試を受けれなかったため、入学することになりました。
特段教育方針や思想や学校の歴史を調べて選んだわけではなく、担任の先生に進められるがままに選んだことを覚えています。

中々個性的な学校で、中でも倫理の先生は愛国者で非常に面白い先生でした。
最初の授業で
「国士とはなんぞや」
と問われたことを覚えています。
そして、吉田松陰先生の話をしてくれました。
吉田松陰先生は、日本の未来を憂いて外国船に乗り込んだり、学問を広めるために獄中でも授業をしたり、松下村塾を開いて数々の憂国の士を育成しました。

ちなみに、国士を辞書で調べると、
「国士(こくし)とは、国中の人物の中でも特に優れた人物のことをいう。転じて、その国を憂い、その国のために私財を投げ打つなどして貢献する人のこと。憂国の士とも呼ぶ。」

今日の塚本幼稚園の視察では、「国士とはなんぞや」という言葉を思い出させられました。

朝礼では子どもたちがきちんと整列しています。
君が代斉唱、教育勅語、五箇条の御誓文を暗唱します。
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子どもたちは力の限り声を出し、目をキラキラさせながら活動していました。
ただただ愛国心を植え付けるのではなく、時代に合わせて、季節に合わせてクリスマスのイベントもやっていました。
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塚本幼稚園の教育を見て、教育に背骨を通すことの大切さを感じました。
子どもたちの礼儀正しさ、元気の良さに、こちらも身が引き締まる思いでした。

愛国心教育は必要なものです。
しかし、「自分の国させよければいい」
というようなならず者国家の思想を植え付けるのはもちろんダメです。
なんちゃら原理主義のその宗教を信じる人以外は人にあらずと言った思想が根底にはあるのかもしれません。

自分が生まれ育った国を純粋に愛する気持を涵養していくことは大切なことだとおもいます。
自己の存在の拠が無ければ、園長先生がおっしゃっていたように「根無し草」になってしまいます。
欺瞞ではない、史実に基づく歴史教育を施し、人間としての根っこづくりをする園長先生の姿勢は素晴らしいと思いました。

愛国心を伝えていくことはとても大切なことです。
しかしながら、一番大切なことは、
「国民から愛される国を作ること」
ではないでしょうか。このことを我々大人は忘れてはいけません。
愛国心教育と、愛される国づくりは車の両輪でなければなりません。

これは政治家や公務員の責務でありますが、国民全体が力を合わせなければ成し得ないことです。
時代は21世紀。
愛国心の一歩先、世界の将来を憂いて考えていかなければなりません。

日本の発展のために他の国を食物にしていいわけではありません。

今現在世界では、
どこかの国の金持ちの病気を治すために、どこかの国の子どもの臓器が使われます。
どこかの国が地下資源欲しさに戦争を焚きつけます。
どこかの国が自国の利益のために、返済の宛のない国債を売りつけます。
どこかの国では生活のために我が子を売春宿に売ります。


こういった世界が抱える欺瞞と矛盾を知り、世界の中で日本がどんな役割を果たしていくべきかを考えていかなければなりません。
「自国を愛し、世界を憂える日本人」。
それが21世紀の国士のあるべき姿だと僕は思います。

世界中から感謝され、尊敬されるような日本にしたいものです。
そんな国が出来たときには自然と国民はその国を心から愛するようになっているのではないでしょうか。それが一番の理想です。

市民の声から始まった大阪維新。
大阪発の市民革命。
まずは大阪から、本当に住民に愛される大阪づくりを始めましょう。