このブログのタイトルにもなってる幸せと豊かさ


クソ真面目にそんなことを考えているのは恥ずかしいのだけど


なんか、感覚として掴み始めている気がする


もちろん、形而上学的なこと

この世は自分の内側の投影であるという前提があり


行為は同じであつても、結果が異なってくる。


だから、最初が肝心。


カバラでいうと

上から降りてきたものか、ということ。


動機や願望が大事。

思いやワクワクも大事。


始めに必要なことは、

自分はどうありたいのかと

自分はどうしたいのか、どうなりたいのか

何が好きなのか

を明確にすること。


ぼんやりしてても、絵空事でもいいです。

むしろ上から降りてきたことは

ぼんやりしていて、掴めないもの。

簡単に言葉になるものではないんだと思う。

自分の経験を通して

答え合わせをし続けて

やっとわかることの方が多いんじゃないかな、って思う。



だからこそ

注意しないといけないのは、

それが本心であること。


世の中の、そうなりたい!のほとんどは

承認欲求だったりする。

比較の中で生み出される優越感

自分が価値ある存在であることをを世の中に知りしめたい

自分が幸せであることをみせびらかしたい

そのような前提のある願望がほぼ90%と言っても過言ではないのではないでしょうか。

(もちろん私もご多分に漏れずです)


承認欲求からくるものではないか?

お金のためだけじやないか?

その動機の純粋性が大事です。


だから、一つ一つその願望が純粋なものなのか、検証する必要があります。


この純粋という言葉

世の中で言う、良い行いとか、正しさとかそういうことではないです。


混じりっけなしの100%自分の願いであるか、という純粋性です。


自分がこうなりたいと思ってたことが、違ってた、ということが往々にしてよくあります。

それが当たり前ではないかと思います。


だから、経験を通し、自分を理解していく必要があるんです。


この願望が本当の願いなのか見分ける方法の

一つは続けていけるか、いろいろあっても続けるモチベーションが続くか

やっていて楽しい、満足、充実感があるかということ


でも、実は世の中にはトラップだらけ


この楽しい、満足、充実感も

承認欲求や寂しさ、孤独を満たすことから来ているものではないか、と検証が必要です。


逆に本物の願いに向かっていれば

孤独を感じることはないんだと思います。


そういった意味で

一人でもやっていきたいことなのかというのも

キーになるんじゃないかなと思う。


中心は自分であり、自分が主役で、自分が主体的に動くリーダーであり、プレイヤーである必要があります。


そしてもう一つ

エネルギーの動きや交流があるかということ

エネルギーが動いているかということ


その願望が本物であると

物事を動かすパワーがあるんだと思う。


だから、自分が出したエネルギーがちゃんと循環し、自分に戻ってくる

そのことで喜びに満たされ

そのことでまた相手や世の中を満たそうと思うようになる。

良い循環が回りだすものなんだと思う。


偽物の願いの場合は、これが悪循環になったり、うまく循環しなかったりする。


エネルギーというのは行動でもありますが

例えば、話す、書くとかも含めます

よく、願いは人に話すと叶いやすいと言いますが、あれはエネルギーを動かしているんですね。


ある元政治家の人が言ってて印象的だったのは

法律に文言が入るということが非常に重要だと。

文言が入ることで、それを根拠にそちらに向かい、要件として満たすように行政は動きだし、予算がつく。

それに似てるのかもしれないな、と。

だからこそ、自分の中に願望が言葉によって言語化されていると引き寄せが起きやすいだろうと思う。

ただ、この言葉にもエネルギーがある。

ちゃんと自分の本当の願いのエネルギーが乗っていないと動かす力はないんだと思う。

だから最初のエネルギーが大事。


自分が満たされ、良い循環が生まれていたら○


そうじゃないなら、よく自分を見て、知って、手放して、自分を観察する。そして行動する。

それの繰り返しなんたろうな、と思う。


形而上学的にも

自分を知るには、

今起きている現象や、もたらされた結果をみて

理解するしかない。


循環という意味でもお金が入ってくる

というのも一つの目安にはなる。

言ってることが矛盾しているようだけど


お金の不安がなくなってくる

そんな感じでしょうか。


神様がいて、サポートしてもらえているような


だから、不安なくその得たお金を上手に

自分も含め、人のために使えるようになります。


これはこの循環への信頼感があるからなのです。

これは自分への信頼とも言えるかもしれないです。


自分は神様から愛されている存在だから、何があっても大丈夫。


よく人に対して良くしてあげると、自分に返ってきますよ、と言われますが

ちょっと違くて


自分が満たされていると

人に何かをしたくなり

誰かの喜ぶ顔が見たくなる


自分に返ってきて欲しいからお金を使うのではない


自己投資にも同じことが言える。

自分を満たすためにお金を使うはずの自己投資も、認められたい、もっとお金を稼ぎたい、そういう動機で自己投資しても自分に返ってこないんだと思う。



よく、コップに水が溜まることで表現されますが

、本当にそうで


コップに溜まってないのに、人に与えるのは不純な動機があるから


もっと認めて欲しい

もっと愛されたい

もっと欲しい


コップがいっぱいになるまでは

逆にこの

認めて欲しい

愛されたい

もっと欲しい

という欲求に向き合わないといけないのです。


その動機があると決して満たされることはないから。


原因探しをするのではなく

単純に自分自身を

もっと認めてあげる

もっと愛してあげる

今あるものを見る

今の自分を見る

ことなのです。


一番見たくないところを見て

はい、そうです

それが私です、と認めないといけない


そういった意味でも、

本当の願いを知るには時間が必要なんだと思う。


時間をかけて

迷って、やっぱり違うかもとか思うことも全然ありだと思う。

そして、一周回ってやっぱりそうだった、でも全然オッケーだと思う。


瞬間的なラッキーとかあったとしても

それを時間が吟味してくれる。


だから待つ時間も大事

絶対に間違わない宇宙のシステムを信頼して待つ時間が。


こんな長文を読むあなたは

きっと真剣に人生に向き合う人なんだろう。


そういう人には幸せであって欲しい。