●絵皿立て





●211mm角




●173mm角



       




●短径180mm・長径215mm



      


  


●短径180mm





















書画の落款などに使用する篆字体の印章です。


●高さ56mm 印字面56mm角



     


           印面               印面画像を反転、実際の印の状態


 「衟志出印」でしょうか? 誰の印章なのか、見当がつきません。




●高さ68mm 印字面30mm角




        

                         丙申仲秋 蔵六刻


           印面               印面画像を反転、実際の印の状態


 「華芳菴蘭里」(かほうあん らんり)と読めます。

 「蘭里」は、中甚兵衛の子・九兵衛から四代目の中九兵衛重信(1816~68)の初期の俳号です。


 台座の側面にある「丙申(ひのえさる)仲秋 蔵六刻」は、重信の時代とすると「天保7年(1836)8月」となり、江戸の篆刻家「浜村蔵六(ぞうろく)」の三世(1791~1843)の作とみられます。

 当時、蔵六は関西を遊歴していたとされますので、懇願して作ってもらったものでしょう。

 この時、重信は21歳。異母の長兄・重孝(45歳)が今米村庄屋を務めている時代。

 25歳になった天保11年(1840)、父・重正の死後25年を機に、それまでの蘭里を改め、父の俳号「左栗(さりつ)」を襲名しています。

 




















 昭和50年代初頭、フジテレビ系の子供番組「ひらけ!ポンキッキ」でヒットした「およげ!たいやきくん」。

 実質500万枚以上とも言われる、売上枚数最多のシングル盤。

 昭和50年(1975)12月25日に発売されました。


           

●高さ155mm  蓋=長径147mm・短径139mmの楕円形



 「茶こぼし」は、「湯こぼし」とも呼ばれるもので、写真の物は焼き物の容器に漆塗りの蓋が付いています。



 茶碗を清めたり温めたりしたお湯を捨てる他、次の一杯のために飲み残しの冷めたお湯を捨てたり、

茶葉を取り換える時に茶かすを捨てたりします。台所などにいちいち足を運ぶなどの手間をはぶき、

素早くお茶の入れ替えが出来ます。

 一般的には蓋の無い、茶道の道具「建水」と同じ役目をするものです。


     

高さ108mm 底92mm角



 2面に文字、2面に透かし絵が描かれています。

 文字のひとつは、「萬歳」と読めますが、もうひとつは?


 

                                       裏面の陶印 ?



高さ104mm



    


 高さに比して口が大きく、本来の用途はは花瓶ではないかもしれません。





高さ90mm


 小さな花を生けるには手ごろな大きさ。

 しかし、上部に径が7mm程の穴が開いていて、その下に親指の先がヒットする凹みがあります。

 本来の用途は何なんでしょう。


     


 わが家では、中にガラスの容器を入れて、仏花を生けています。




高さ170mm


    


 わが家の陶器製花瓶としては、唯一の舶来ブランドです。



























●高さ200mm




●高さ241mm



     

                                 「楼松軒」?



●高さ192mm



      

                   上部は四角、底は丸          掻き陶印



●高さ234mm



           
                        「赤膚山正人


          奈良・大塩正人窯(おおしおまさんどがま)の赤膚焼です。













                              













昭和20年の8回にも及んだ大阪大空襲の前触れとして、ボーイングB29爆撃機による大阪への初めての爆弾が、昭和19年(1944)12月19日01時45分、中河内郡の大和川に近い三宅村(現・松原市三宅)と瓜破村(大阪市平野区瓜破)に18個投下されました。

被害は家屋半壊5戸、死傷者は幸いにも軽傷2名に留まったとされています。


因みに、その近辺の大和川付け替え工事の御手伝大名に任命されたのは、岸和田藩主・岡部美濃守長泰でした。図はその工事区間を示しています。


                現在の地図で見る大凡の工事区間


          工事が行われた時の勾配図でみる工事区間。


付け替え地点の1番杭から数えて53~76番杭の23町(約2.5km)を担当しました。


●こうした、大和川をベースに日々の過去の出来ごとなどを記しているのが、

自費出版『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』(2011年刊)です。


新旧大和川流域とゆかりの地域の歴史・地理・人物・出来事365(+7)項目。
年明けからの1日1頁の読書は如何ですか。郵送のみで販売しています。
プロフィール欄をご参考の上、送付先をご連絡下さい。A5版・416頁・2000円です。 



今から99年前の大正4年(1915)12月13日、

前年の追贈を記念した「贈従五位中甚兵衛翁碑」の除幕式が、今米村で挙行されました。



       大正3年(1914)11月19日の贈位者一覧 (朝日新聞記事)

その日は近隣村々も全て休業して式典に参集、昼夜花火も打ち上げられたお祭り騒ぎで、

今米村は有史以来の賑わいを呈したと、祖父が記録しています。



現在の近鉄けいはんな線吉田駅のすぐ近く、今米公園に碑が残されています。

吉田駅ホームの表示板には、括弧書きで「中甚兵衛の碑前」と書かれています。





因みに、碑建立地は今米村の春日社の跡地で、氏子の方々に対価を払って敷地全体の永代使用権を得たものですが、昭和43年(1968)に当方への伝達もなく、「東大阪市今米公園」になっています。


狛犬の残る 旧春日社の拝殿跡に建てられた碑(東大阪市今米公園)


         碑前面                         碑背面