中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「東住吉・阿部野・住吉」の大阪市の三区の接点に位置する「JR阪和線 鶴ケ丘駅」。

 駅とその付近を知るために、大阪市内の「JR阪和線」各駅の歴史から取り組んでいます。

 その3回目。昨日は、昭和4(1929)年7月18日の開通と共に開業した、4つの駅(停留所を含む)の名前の由来などを簡単に見ました。今日は、追って設置された駅も見て行きましょう。


 「鶴ケ丘駅」付近は、桃ヶ池や長池に沿う形で敷設されましたが、開通以前の地図を見てみます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 < ←明治18年  大正14年↓ >

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記






 住宅・マンション・会社・商店などが建ち並んで、視界が遠くに及ばない現在では想像もつかないですが、集落を一歩出れば、見渡す限り建物がなく田畑や用水池だったようです。


 最初の地図は、明治181885の測量図。

 「摂津国住吉郡」の「南田辺村」に加えて、江戸時代初期の寛文3(1663)年に、村所有の原野を、浜田五兵衛が開拓した「松原新田」と、奥田市兵衛が開拓した「猿山新田」の集落(■)が見えます。

 両新田の名前の由来を示す明確な史料は見つけ得ません。

 

 二番目の地図は、阪和線開通の4~5年前の大正141925のもの。

 上記の3村は、明治22(1889)年に「北田辺村」と共に「田辺村」として合併、その大字となりました。

 明治29(1896)年に住吉郡は「東成郡」に合併。また、明治43(1910)年には、大和川の付け替え後の多くの新田と同様、地名から「新田」の文字が削除されています。

 大正3(1914)年、田辺村は「田辺町」になり、その大字である「北田辺・南田辺・松原・猿山」の4つの集落や、その年に開通した「南海電気軌道平野(ひらの)」などが、この地図に記されています。


        中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記山阪神社に建つ「田辺町之碑 > 


 が、この年、4月1日には、第2次の大阪市域拡張が行われ「住吉区」に所属することとなり、「北田辺町・南田辺町・松原町・西田辺町」となりました。この時点で、「猿山」の名は消えています。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

                 < 美章園駅


 大正3(1914)年に参戦し、大正81919)年のベルサイユ条約で終結した「第一次世界大戦」。

 人口も急激に増え、大戦後は住宅が逼迫(ひっぱく)してきました。
 こうした状況下で計画された鉄道計画。大阪起点駅用地の確保に時間を要し、ようやく開業にこぎつけたのが昭和4(1929)年。大きな時代の動きに、引き続きその対応に迫られます。


 大戦後、大阪市は中産階級を対象に「自家建築」を推奨しました。

 住宅組合を指導・育成して、住宅建設資金の貸付を行う一方、住宅を経営する土地・住宅会社に低利資金を転貸して「借家建築」をも助成しました。

 沿線になる付近でも、「美章土地株式会社」(現・美章園駅付近)や「大阪住宅経営会社」(現・鶴ケ丘駅近く・松原住宅)の大規模経営が行われていたのです。

 昭和にかけての、この地域の一般住宅建設の先駆けです。








中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

                < 美章園駅南側


 「美章園停留所」は、こうした背景の中、開業僅か2年後の昭和6(1931)年6月3日、「阪和天王寺駅」と「南田辺停留所」の中間駅として誕生しました。

 大正期からこの地に住宅地を開発し、当時、山岡順太郎が経営していた「美章土地㈱」に由来する駅名です。会社を創立したのは、父である山岡美章(よしあき?)。その名が会社名となっていました。


 明治22(1889)年に「阿部野村」を合併し、大正13(1924)年末には人口が5万9千人近くの、わが国最大の村となった「天王寺村」の領域に属していました。

 昭和26(1951)年には、「駅名」が「町名」に発展、天王寺町・桑津町の一部が「阿倍野区美章園」になり、現在に至っています。

 大正12(1923)年の、現・近鉄南大阪線の「河堀口(こぼれぐち)」に続く当駅の設置で、地域は急速に発展しました。



中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「我孫子(あびこ)観音前停留所」は、「美章園」より一足先に設置されています。

 南東方向にある日本最古の観世音(かんぜおん)菩薩の寺院で、観音宗総本山「吾彦山大聖観音寺(あびこさん・たいしょうかんのんじ」、通称「あびこ観音」の参拝客の便を図るものです。


 「臨南寺前駅」と「杉本町停留所」の中間駅として、昭和5(1930)年の初詣に合わせ、1月1日に「仮停留所」を設置。その年の年末、12月6日に正式に「停留所」となりました。

 明治44(1911)年開業の「現・南海高野線 我孫子前駅」(住吉区遠里小野5)、大正1(1912)年の「現・阪堺電軌阪堺線 我孫子道駅」(住吉区清水丘)よりも、ずっと近くなりました。


                                                     ( つづく )