今回の八尾(やお)参詣。最後に訪れるのは、「八尾神社」(本町7)です。
境内には、先に参詣した「八尾地蔵(常光寺)」を示す「左 地蔵堂」の道標が残されています。
中世後期から江戸時代初期にあった、若江郡の「八尾村」。「八尾庄」とも言われました。
また、古大和川の「久宝寺川」(長瀬川)右岸の自然堤防上で、南北に長く形成された集落であったため、「長(なが)八尾村」の称もありました。
寛永5年(1628年)には、村内の小村が8ヵ村に分離独立しましたが、「長八尾八ヵ村」の名は残りました。その近世村落は、北から「西郷村・東郷村・木戸村・庄之内村・成法寺(じょうほうじ)村・今井村・別宮(べっく)村・八尾座村」の8ヵ村です。
別途、慶長11年(1606年)に出来た「寺内(じない)村」が発展するにつれ、八尾の中心は移りました。
「八尾神社」は、近世の旧西郷・木戸両村の村社・氏神で、「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ」と呼ばれて
いましたが、明治になって『延喜式』に倣って「栗栖(くりす)神社」と改称、明治41(1908)年に現社名となりました。
「八尾神社」も商店街からは少し中に入らねば成らず、参道は狭いので見落としそうです。
< 西側参道 > < 北側の裏参道 >
(つづく)