大阪の柏原(かしわら)市と藤井寺市以西の「大和川」は、江戸時代につくられた人工の川。
この写真は、その大和川が、大阪市と堺市の境界から大阪湾に流れ込む河口付近です。
つくられたのは、忠臣蔵でお馴染の四十七士の討ち入りの2年後、元禄17年が宝永元年(富士山爆発は宝永4年)に改元された1704年のこと。それ以前は河内平野を幾筋にも分かれながら流れ、最後は再び1本の流れになって「淀川」(現在の大川)に合流していました。
本ブログは、その新旧流域と付け替えを大きなテーマにしています。
< 南河内からの石川が大和川に合流する付近 >
< ススキの穂が揺れる大和川河川敷(2012年11月) >
< 住吉区苅田の河川敷。奥は「吾彦大橋」。(2012年11月) >
ピンクの「古大和川」と緑の「深野池」・「新開池」は、付け替え後、埋め立てられ「新田(しんでん)」が開発されました。「依網(よさみ)池」は新川の流路に利用され、北と南の部分も新田開発されています。
「付け替え」の意味とそれが行われた年を覚えるための一句です。
2011年10月23日のブログをご参照下さい。
「大和川付け替え年度の覚え方」 ⇒ http://ameblo.jp/imagome/day-20111023.html
(つづく)