中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「JR阪和線」の「南田辺駅」から「鶴ケ丘駅」の間の西側、大阪市阿倍野区の長池町から西田辺町に繋がる「長池公園」。二つの「長池」(長池・南長池)があります。


 地上線だった時は阪和線が、東の東住吉区と西の阿倍野区の境界線でしたが、阪和線は高架化で西側に移動、長池の中に高架の橋脚を下ろしていますので、現在の両区の境界は阪和線の東側(将来の緑道「天王寺大和川線」)です。次の地図の境界線は、現在のものとは異なるとみられます。



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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 11月28日 要旨 ☆★


● 《「まほらの屋」の命名者・六人部是香、忌日(1864) 》

 中甚兵衛から数えて5代目になる中九兵衛重信(1816~68)が、読書をしたり、歌を詠んだりする壷屋(つぼや)に「まほらの屋」の名をつけたのが、「六人部是香(むとべ・よしか)。京都・向日神社の宮司の家に生まれた幕末の国学者で、歌学にも造詣が深く多くの著書を残しています。文久3年(1864年)のこの日、66歳の生涯を閉じました。命名の由来などを記した、「まほらの屋の辞」の全文を紹介しています。