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 大阪市東住吉区の「針中野3丁目」。

 「庚申街道」の「☞はりみち」の道標に従って、「中野鍼療院」に向かうため西に折れます。


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 曲がってすぐ、南側と同様の立派な門構えがありますが、何も表示されていません。

 しばらく塀沿いに進むと、「中野鍼控所」があります。


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 この日は休診日で開いていませんが、今で言う「待合室」でしょうか。

 その西側に、「中野鍼療院」があります。


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 現在の正式名は「針中野・中野鍼療院」のようです。木製の古い看板もあります。


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 「中野小児鍼」と「中野鍼」の2枚。かなり古い感じのものが掲げられています。

 「中野鍼」の方は、その上に小さな文字で2列にわたって(右の写真がその拡大)、「小児鍼鍼灸□」

とあります。□は「」でしょうか?


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 こちらは、「針中野・中野鍼」だけで、「療院」の文字はありません。

 その上の「存亭」には、「宝永(ほうえい)己丑(つちのと・うし)」とありますので、宝永6年(1709)年の書のようです。時の将軍・綱吉が亡くなって、六代将軍・家宣に替わった年になります。





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 昨日のブログで見た、「卍お地蔵さん」横の駐車場案内の他、昔懐かしい「牛乳箱」もありました。

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 平安時代の延暦年間(782~806年)の頃に設立とされたという、「中野鍼」。

 正式な屋号は、「中野降天鍼療院(なかの・あまくだる・はりや)」と言うそうです。


 7月22日から続けた針中野地区の探訪。浅学の身では、中野鍼は環濠集落の外と判断しましたが、環濠内という説もあります。また、今は「針中野の中野鍼」とされていますが、地名と最寄りの駅名にもなっている「針中野」はどちらが先? 明日は、そのあたりを見直して、今回のシリーズの幕を下ろします。




★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 7月30日 要旨 ☆★


● 《 大阪夏祭りのフィナーレ・住吉祭、宵宮 》

 昨年、鎮座1800年祭が行なわれた「住吉大社」。この日の「宵宮」、31日の「例大祭」・「夏越祓神事」と8月1日の神輿が大和川を渡って堺・宿院の頓宮に向かう「神輿渡御祭」が、大社の夏祭りである「住吉祭」です。6月末の「愛染まつり」で始まり、「天神祭」など各地で盛り上がった大阪の夏祭りの、最後を飾るにふさわしい盛大なものです。