大和川の南、大阪市平野(ひらのく)区長吉川辺4丁目にある「府立平野高等学校」。
北側にある正門前付近の一部を除いて、周りは松原市です。
学校敷地の外周道路を、反時計回りに歩いてみます。
道路右手に見える「松原市別所4丁目」の住宅街には、こんな大きな水田も残っています。
再び学校側に目をやります。
フェンス間際には校内とは思えない長閑な水路も。写真には収められませんでしたが、サギのような鳥が一瞬見えました。
グランドの南側には、「松原市大堀2丁目」の住宅が迫っています。
敷地南側は、住宅1軒分離れた外周道路となります。
明日は、同じく大堀2丁目の東側の外周道路に出ます。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 6月5日 要旨 ☆★
● 《 卯年洪水、堤切れ19ヵ所(1675) 》
古大和川筋と新開・深野池で35ヵ所の堤防が切れた、延宝2年(1674年)寅年6月の大洪水の復旧も進まない翌・卯年のこの日、またしても19ヵ所の堤切れが起こりました。この連続被害は「寅卯洪水」の言葉が生れるほどの悲惨を極めた未曾有のものでした。付け替え運動は、「摂河15万石余」(およそ270ヵ村)という最大規模に盛り上がります。