中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

     < 高架ホーム北の端から見た生駒からの日の出



● 山坂・西田辺町連絡通路


 大阪市「阿倍野区」にある、JR阪和線の「鶴ケ丘駅」。

 駅より北、地上駅の時には、東側の「東住吉区」との行き来は、後に見る「南港通」の「鶴ケ丘北踏切」まで出来ませんでした。

 高架になって、「東住吉区山坂4・5丁目境界」の道路と、阿倍野区の「長池公園」南の道との間が、車は通行できませんが、人が通れるようになりました。

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       < 左=山坂5丁目、右=山坂4丁目、奥に高架の阪和線が見える

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      < 東(山坂)側から >                 < 西(西田辺町)側から >



● 鶴ケ丘駅北の高架下


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 上記通路の、フェンスの網の隙間に携帯のレンズを置いて撮影したものです。

 右側が阪和線。駅舎は既に終り、高架下は自転車置き場や駐車場として利用されています。

 正面は旧線路跡で、奥の方に旧駅がありました。「キンチョウスタジアム」の照明塔が見えます。


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             < 高架の阪和線と地上の旧線路跡の間の道路


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 駅西側の歩道のない道路です。
 右側奥の方は、西田辺2丁目ですが、この辺りは西田辺1丁目になります。


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            < 高架下の仮自転車駐輪場やパーキング



● 旧鶴ケ丘北踏切


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 先程と同様、フェンスの隙間からの、旧線路跡の北方向です。

 右側は東住吉区山坂4丁目、左の長池の上を阪和線が走っています。

 この先、左のフェンスの切れ目辺りに、「開かずの踏切」の旧「鶴ケ丘北踏切」がありました。

 懐かしい踏切際の大きな「銀杏(いちょう)」の木を中心に見ていただきます。


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 < 大銀杏のあった所、左が旧線路跡 >          < 南港通北側から見た旧踏切跡


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因みに、昭和61(1986)年6月5日午前8時台の調査では、遮断機が上がっていたのは延べ5~6分、最長で20分程度下りたままの状態。横断橋を利用する人も少なく、歩行者・自転車・単車のバーを持ち上げての強行突破が跡を絶ちませんでした。


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 鶴ケ丘駅東の「山坂4・5丁目付近」です。「鶴ケ丘駅」の「南口」()から東に伸びる道路が突き当る所()までの何本かの道路は、JR線に沿っていることが分かります。

 駅北側の駐輪場などと「長池」の間の印が、高架下で「山坂4・5丁目境界」の道に通じています。

 一番下のが「長居公園北口」です。


★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 5月31日 要旨☆★


● 《 泊瀬朝倉宮と見られる建物跡出土(1984) 》

 三輪山の麓、大和川の源流・初瀬川の畔にある、桜井市の「脇本遺跡」で、5世紀頃の掘立柱の建物跡と多数の土器類が、昭和59(1984)年のこの日見つかり、第21代雄略天皇(倭の五王の一人・武王)の「泊瀬(はつせ)朝倉宮」の伝承地に近いことから、宮の一部か付帯施設の可能性が強まりました。