< ホームと切符にみる「大阪阿倍野橋」駅の表示 >
去る13日に続いての、大阪市阿倍野区阿倍野橋筋1丁目の「近鉄・大阪阿部野橋駅」。
前回に写真で紹介した東・西改札口のほかに、「中改札口」があります。
「近鉄百貨店阿倍野橋店」建物内で、西改札口は地上、東・中改札口は地下になります。
< 百貨店北側にある「あべの橋駅」中北口の階段を下りた先にある「中改札」への案内板 >
< 改札口上部にある表示は「中改札口」 >
帰路につくため、ホームに入ります。
< ホームにある「中改札」への案内表示は「中央出口」 >
ここまで2つの表示があった、駅名としての「大阪阿部野橋」と「あべの橋」。
電車そのものの行き先表示は?…と、ホームで確かめようとしましたが、ホームに入ってくる電車は全て、既に折り返しの行き先に表示変更されていました。
そこで、降車する「針中野駅」で、逆の「大阪阿倍野橋」方面ホームで電車を待ちます。
2列車で確かめたところ、一番前の運転席上と車輛横の行き先は共に「あべの橋」、2両目以下は、全て「あべの橋」のものと、「阿部野橋」のものとがありました。
本テーマの次回は、難波りんご著『わたしたちの阿倍野」』などを参考に、駅名としての「阿陪野橋」と「あべの橋」の変遷と混在ぶりをもう少し調べてみます。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 4月17日 要旨 ☆★
● 《 王寺町の町制施行祝賀行事、翌日飛行機墜落(1926) 》
奈良盆地の全ての水系は、北葛城郡王寺町で終結して、大和川として亀の瀬を経て大阪平野に流れ込んでいます。大正5(1926)年、当時の葛下(かつげ)郡王寺村が町制施行した祝賀行事がこの日から始まりました。2日目の翌日、祝賀飛行機が大和川の河原への着陸に失敗、堤防際の児童観覧席に墜落、死者2・負傷22人という惨事が起こりました。