旧「松原住宅」内を、南西方向に伸びる3本の直線道路の真ん中「銀杏通(いちょうどおり)」。
「松原住宅」のヘソと思える位置に、「ロータリー」と呼ばれる、円形をした交差点が残っています。
上の写真は、ロータリー南側の銀杏通からのものです。
現在の住所表示は、大阪市東住吉区山坂4丁目。写真左上・北西側が8番(街区)、右上・北東側は7番。手前左側・南西側は11番、右側は12番です。
冒頭の写真左側の12番を除くコーナー3ヵ所に、掲示板が設置されています。
ここで、「盆踊り」も行なわれたことがあるという、チョットした広場感覚の交差点。
実は、松原住宅と最寄りの鉄道駅間を行き来した、バスの発着場だったのです。
松原住宅の開発は、大正9(1920)年。現在のJR阪和線は、昭和4(1929)年まで待たねばならず、当時の最寄駅は、大正3(1914)年に旧・阪堺電軌軌道が開業し、翌年に南海鉄道と合併、「南海平野線」となった「田辺駅」。股ヶ池(ももがいけ)駅と駒川町駅の中間駅でした。
現在では廃線され、昭和55(1980)年に市営地下鉄「谷町線」に路線が継承されています。
< 西側から東側を望む > < 東側から西側を望む >
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< 北東側から南西側を望む >
江戸期の「松原新田」の跡地に、大正期に開発された「松原住宅」。
今の「山坂」(3~5丁目の一部)の街中に、「松原」の名前は、一昨日の「松原商事」以外に、見かけることはまずありませんが、「松原新田」の南端、長居公園北側に「松原霊園」の名が伝わっています。
東長居霊園と松原霊園 ⇒ http://ameblo.jp/imagome/day-20111111.html
東住吉の「松原」に関して、4日連続で話題を拾いました。ただ、そもそもの3月9日ブログ「松原荘の石柱」について、松原新田の北と東の端に近い場所ではとの、多少の位置理解が出来ましたが、「荘園」に関してや、石柱が、どこから、どうして集められたかなどの謎は解けないままで、課題として残りました。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 3月12日 要旨 ☆★
● 《 国産ビールの父・鳥居駒吉、生誕日(1853) 》
嘉永6年(1853年)のこの日、堺宿院の米穀商・和泉屋に生まれた「鳥居駒吉」。明治12(1879)年に堺酒造組合を組織化、初代組合長に就任。樽による清酒販売に「ビン詰め」を追加する一方、本格的な国産ビールの製造にも挑戦。明治22(1889)年には「大阪麦酒」の初代社長に就き、吹田(すいた)に国内初の工場を稼働させました。また、社交倶楽部「旭館」を開設しての人脈形成や、議員活動を通じて活躍の場も広がり、全国酒造組合連合会の副会長にも就任しました。
大阪麦酒は、明治39(1906)年に日本麦酒・札幌麦酒と合併して「大日本麦酒」(現・アサヒビール)になりますが、体調が優れず社長就任を固辞、3年後に他界しました。