中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「お地蔵さん」として親しまれる「地蔵信仰」の縁日は、毎月24日。

 1月24日は、その年最初の縁日として、「初地蔵」と呼ばれています。


 「地蔵」は、「地蔵菩薩」の略。「地蔵尊」は、その尊称です。

 地蔵信仰は、中国では唐の時代、日本では平安時代より広く民間に広まりました。

 子安(こやす)地蔵・六地蔵・延命地蔵などもあります。

 
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    < 山阪神社 >                   B↑南方向への道   A→南東方向への道


 大阪市東住吉区山坂2丁目の「山阪神社」の、東の通り。

 神社南の「山坂公園」の東を経て、真っすぐ南東に進む道(A)も「南港通」に通じますが、公園からすぐ、三角形の頂点のような所から真南に「南港通」に通じる道(B)が分かれています。この神社からのAと、三角形頂点からのBは、西の「山坂3丁目」と東の「南田辺1丁目」の境界線を形成しています。


● 法界地蔵尊

 

 Bへ曲がってすぐ右手、角と次の建物との間に「法界地蔵尊」(山坂3-7)があります。

 東住吉区のHP「東住吉100物語」によると、「南田辺法界地蔵」。

 昭和の終り頃までは、山坂公園の南を西に進む道との、やはり三つ辻の北東角にあったそうです。


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 傍らに建つ、「法界地蔵尊のいわれ」には、

  *法界とは堺(境)を知らせるとの意で、「道しるべ」のことである。

  *この地蔵尊は古い昔よりこの辺りに立たれて道に迷う人の為行く道を教えられた。

  *やがて悩める人の為人生の道しるべとなられ、今では家内安全・交通安全を祈る人多く

   人々の幸福と安全を守られ法界地蔵尊として尊敬を集め信仰される人が多い。

とあり、上記HPもこれを引用しています。

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 が、いささか、この説には疑問を投げかけずにはいられません。

 『広辞苑』にも、「法界」には、「境を知らせる=道標」との意味は記されておらず、「(法界無縁などの語より)縁故のないこと」とあります。

 各地に「無縁法界地蔵」というのがあって、それらは、「引き取り人のない者の供養のために安置」したものとされています。「無縁法界」の略がここで言う「法界」なのではないでしょうか。

 これに関して、同じHPに、次のような興味ある記載があります。


  近所で、この地蔵の由来に就いて聞いたところ、

  「山阪神社の南側の現在公園になっているところは、昔池であった。その池にはまって子供が

  亡くなったので、地蔵が祀られた」との言い伝えがあるとのことです。


 言い伝え通りとすると、その子供がどこの子か分からなかったのでは・・・。

 やはり、「無縁法界」の意味の方が納得できるのですが・・・。


● 延命地蔵尊


 Aの道に戻り、南東方向に進むと、「南港通」に出る少し手前の右(西)角に、「延命地蔵尊」を中心に「子安地蔵尊」「日限地蔵尊」の三菩薩が祀られています。


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 こちらには、説明版がありませんが、一般的には次のような願いが叶うと言われています。


 「延命(えんめい)地蔵」 : 新しく生まれた子を護り、夭折(ようせつ)・短命の難を免れると言われる地蔵
 「子安(こやす)地蔵」 : 妊婦の安産を守護すると言われる地蔵 

 「日限(ひぎり)地蔵」 : 日を限って祈願すると願いが叶えられると言われる地蔵


 限られた日がいつなのか、説明がないので分かりません。


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 尚、2ヵ所の地蔵がある「山坂3丁目」は、「南田辺村」の浜田五兵衛が同村所有の原野を開拓、寛文4年(1664)年に検地を受けて成立した「松原新田」の一部の最北端です。



★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 1月24日 要旨 ☆★


● 《 池内遺跡で近畿最古級の水田跡出土(2007) 》

 東大阪市と八尾市にまたがる「池島・福万寺遺跡」だ出土したものと同時期と見られる、近畿最古・弥生時代前期(約2500年前)の水田跡が、松原市天美北の「池内遺跡」で見つかったと、平成19(2007)年のこの日に発表されました。同時に、隣接する環濠集落跡もセットで出土、極めて珍しい発見となりました。


● 《 第19回郷土史研究賞特別優秀賞(第1位)受賞(1994) 》

 手前ごとですが、「大和川付け替え運動史の虚構をつく」で標記の賞を受け、平成6(1994)年のこの日、丸の内の東京会館で授賞式がありました。