中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


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              本年も宜しくお願い致します


 「山阪神社」への初詣。露店も沢山出て、参拝への長い行列で賑わっていました。


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 祝日、特に元旦には、各家庭の表に「日章旗」を掲げるのが当たり前だった風景。

 祝日を「旗日」と呼び、「旗日には日の丸を掲げましょう」という呼びかけもありました。

 今は遠い昔の話です。


 今日の「産経抄」。「ちょうど70年前となる昭和17年。日本は米国との戦争に突入して初めての正月を迎えた。」…で始まっています。これも、今は遠い昔。その年に生まれた老兵は、いつまでも、これまでの調子で物事が出来ないことを自覚して、新年が始まりました。



★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日」 1月1日 要旨 ☆★


 《 明暗分けた元禄17年の正月(1704) 》 元禄17年(1704年)の元旦。大和川筋の農民と、堺への新大和川開削が計画されている周辺の農民とは、天と地ほどの差のある新春を迎えました。

 既に工事着工が決まり、中甚兵衛は、工事を担当する堤奉行・万年長十郎との綿密な打ち合わせも終え、着工を心待ちにして迎えた新年で、長年の夢がかなう喜びをかみしめ、やり遂げる熱意に燃えていました。

 一方、新川予定筋では、着工の正式決定の知らせもないまま、計画中止を願う江戸への訴えも、なかなか踏み出せずにいました。年の瀬も押し詰まってようやく、新年明けてから江戸へ下ることを決めましたが、元日を迎えても心苦しくて、新年を祝うものも誰ひとりとなく、幕府役人や甚兵衛を恨みに思ったりしたと伝えられています。